「死刑」は人類史において”重要なステップ”だった…人類の「協力」を育んできた「死刑」が今”過小評価”されている理由
人間は懲罰本能が不必要になるよう進化してきた
それを可能にしたのが、懲罰と飼いならしの制度だ。すでにおよそ50万年前には、人類は社会的制裁の用い方を学び、非協力的な行動をとることから魅力を奪った。 極端なケースでは、他人を脅かし、いじめ、操作し、攻撃し、悪用する者は、単純に殺された。その多くの場合で、そのような行動にウンザリした人々が共同で殺害した。何百世代にもわたって、粗暴で、乱暴で、冷酷なメンバーを殺してきた生物種では、選択圧が平和と協調と自己制御の方向へ強く加わる。そうやって選択されてきた最も平和的な人々の子孫が、今の私たちなのだ。 進化の過程では不穏分子の殺害が有益であったという事実があり、加えて今振り返って考えてみれば、死刑から数多くの歓迎すべき結果が得られたとわかるとしても、そのような慣行が現在でも正当であるとは限らない。それどころか、モラルの歴史が、私たちの懲罰本能は全盛期をとうの昔に過ぎていることを物語っている。現代の世界には、もはや懲罰本能の居場所はない。 『現代人は「家畜化症候群」!?…人類が「協調」することで体得してきた進化の“軌跡”とその“弊害”とは』へ続く
ハンノ・ザウアー、長谷川 圭
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