阿川佐和子「痛い通告」
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。歯が痛くなり、かかりつけの歯医者さんで診てもったところ、虫歯ではないものの神経を抜かなくてはならいと言い渡されてしまったそうで――。 ※本記事は『婦人公論』2024年7月号に掲載されたものです * * * * * * * 歯が痛くなった。下の奥歯である。 気のせいだ。そう思うことにした。激痛というほどではない。疲れがたまると一時的に歯痛が起こる、とよく言われるではないか。 ポジティブ(これをポジティブというのかどうか怪しいが)に捉えて数日過ごしたが、歯の痛みは治まらない。むしろだんだん増している気がする。 一週間後、とうとう観念し、かかりつけの歯医者さんに足を運んだ。 「まずレントゲンを撮ってみましょう」 レントゲン撮影はあっという間に終わった。画像結果もあっという間に出てきた。私は歯医者さんのリクライニングシートに座った状態で、うしろから光の当てられた画像を見つめ、医師の説明を受けた。 「以前、虫歯の治療をして上からかぶせてあったところです。その内部に虫歯ができたのかと思いましたが、どうも虫歯はないですね」 その言葉を聞いてホッとした。なんだ、やっぱり痛みは精神的なものだったのかしら。 安堵したのも束の間。 「しばらく様子を見て、それでも痛みが引かない場合は、神経が傷んでいると考えられます」 「そうだとしたら、どうするんですか?」 「神経を抜きます。できることなら抜きたくないですが……」 こうしてしばらくの猶予期間を経て、案の定痛みは治まらず、いよいよ覚悟を決める日がやってきた。
「神経を抜くなんて初めてなんで、怖いですよぉ」 治療が開始される前にさりげなく先生に甘え声を発してみた。恐れていることを伝えておけば、優しくしてくれるのではないかと期待したからだ。すると先生、 「初めてじゃないですよ。これで二回目です」 あら、そうだった? 過去のことは忘れるものである。でも忘れているぐらいだから、さほどつらい治療ではなかったのではないか。なんとかポジティブに捉えようとする。 幼い頃から先端恐怖症のきらいがある。高熱を発しているときに見る夢はいつも決まっていた。なぜか鬼をおんぶして、剣山の上を走って逃げている自分の姿が映し出される。怖いよー、痛いよー、と泣き叫び、自分の泣き声に驚いて目を覚ます。 あるいはうつらうつらと熱にうなされているとき、台所からトントントンと、母が包丁で何かを切っている音が聞こえてくる。その包丁の音がどんどん大きくなり、刃先がピカリと光り、そんな想像が膨らんで恐怖した。 成長するにつれ、尖ったものに対する恐れはしだいに薄れていったが、いまだに注射針が肌に刺さる瞬間を注視することはできない。