あのケネディ米大統領に「フランスが世界一」と認めさせた男がいた!~ルーヴル美術館・ブランディング秘話
フランスの「初代文化大臣」として、第二次世界大戦で傷ついた国家の威信を「文化芸術の力」で復興させた男がいた。彼はその辣腕でケネディ大統領を《モナリザ》に「拝謁」させるパフォーマンスを仕掛けていたのだ。『ルーヴル美術館 ブランディングの百年』からその逸話を紹介する。 【写真】《モナリザ》がJ.F.ケネディに「フランスは世界一」と認めさせた?!
「文化」をフランスの「国策」にした初代文化大臣
戦後のルーヴル美術館のブランディングの歴史を語るにあたり、まず、特筆大書せねばならないのは、行動する文学者アンドレ・マルローである。 マルローは1959年に創設された文化省の初代大臣に就任している(当時の正式名称は「文化問題担当省」であるが、政権ごとに名称が微妙に変化するため、ここでは「文化省」と統一して記す)。2001年にフランスで出版された『文化政策辞典』は、この1959年を「文化政策元年」としている。ここから、フランスは明確に文化政策を国策として政治マターとしてゆく。 では、初代文化大臣としてマルローは何をしたのか。もちろん大臣だから、何百何千という文化案件を取り扱った。しかし、そのなかで突出して有名となった出来事とそれを示す一枚の写真がある。1963年、マルローは《モナリザ》とともにアメリカ合衆国へ渡り、アメリカ国民に向けてこのルーヴルの「顔」を展覧したのである。展覧会に先立って、ケネディ大統領夫妻の臨席のもとにセレモニーが行われたが、そこで撮影され世界中に拡散したのがこの写真である。 見上げるような高さに展示された《モナリザ》の前に、五人の人物が立っている。向かって右側、《モナリザ》のすぐ横に立っているのがアンドレ・マルローであり、その隣はアメリカ大統領夫人ジャクリーヌ・ケネディと副大統領のリンドン・ジョンソン、背後にはフランス国旗が立っている。左側には大統領J.F.ケネディとマルロー夫人のマドレーヌ、写真には収まっていないが彼らの背後にはアメリカの星条旗が立てられていた。 この写真は、《モナリザ》が北米に渡ったという事実を伝える単なるスナップショットではない。出来事の記録という以上に、写真それ自体が重要なメッセージを発信している。すなわち、当時世界で最も政治力のあったアメリカの大統領をも《モナリザ》は魅了した、というメッセージだ。《モナリザ》の力、ひいてはこの作品を所蔵するルーヴル美術館の国際的威信を世界中に伝えて余りある記念すべき写真といってよいだろう。(マルローという政治家が《モナリザ》とルーヴル美術館のブランディングに深くコミットできた政治的背景については、本記事では割愛する。詳しくは『ルーヴル美術館』第八章をご覧いただきたい)。