「弘前ねぷた」は「青森ねぶた」の脇役じゃない 思い込めてつくり上げられたスタイル、青森在住1年目の記者が触れた魅力
「弘前ねぷた」を知っている?東北三大祭りに数えられる青森市の「青森ねぶたまつり」ではなく、そこから南西に約30キロ離れた弘前市で毎年8月に開かれる祭りだ。有名な青森ねぶたと名前や内容が似ているので、陰に隠れがちかもしれない。東京出身の私も、正直言えばちゃんと区別がついていなかった。でも、弘前ねぷたは決して青森ねぶたの脇役ではない。どちらの祭りも思いを込めてつくり上げられたスタイルがある。この夏に青森支局へ転勤してきたばかりの私が、精いっぱい魅力を伝えたい。(共同通信=赤羽柚美) ▽人形と扇、二つの祭りの大きな違い まずは青森ねぶたと弘前ねぷたの違いから。紙でできた大きな山車が市中を回るのはどちらも同じだが、大きく異なるのはその形だ。青森の主流は立体的な人形で、弘前の主流は扇型に絵を描いたものになる。ただ弘前にも人形の山車がないわけではない。かけ声は青森が「ラッセラー」で、弘前は「ヤーヤドー」と定められている。
祭りの記録としては弘前の方が古い。歴史に初めて登場するのは1722年で、弘前藩庁「御国日記」に、5代藩主・津軽信寿が「祢むた流(ねむたながし)」の合同運行を見たと記されている。ねむたながしは元々は眠気を覚ますという意味で、これが転じて「ねぷた」「ねぶた」になった。起源が同じなので昔は双方の名前に明確な区別はなく、弘前の祭りでも扇型より人形の方が多かったという。 ▽地域コミュニティ重視の「市民の祭り」 これが変わったのは太平洋戦争後だ。戦災に遭い、有力な観光資源を持たなかった青森市は、ねぶたを町おこしに活用した。昭和の高度成長期に大々的なPR活動を展開。作り手である「ねぶた師」の技術は高まって、細微で華麗な人形ねぶたをどんどん作り上げた。 観光客もハネト衣装(正装)を着ていれば、事前登録や当日の受け付けがなくても飛び入りしてねぶたの周囲で踊ることができる。観光化は見事に成功したが、山車の制作費や運行経費は大きく膨れあがったため、運行団体は地区の連合体や企業が中心になった。