歴史学者・磯田道史が入れ込む映画『花戦さ』に描かれた“生かす戦国”とは?
大ヒット映画『武士の家計簿』『殿、利息でござる』の原作者であり、歴史学者の磯田道史氏が、“花”で天下人・豊臣秀吉に挑んだ花僧・池坊専好を主人公にした映画『花戦さ』に入れ込んでいるという。原作を提供したわけでも、歴史監修したわけでもない、縁もゆかりもない東映作品『花戦さ』に、なぜそこまで入れ込むのか? 気になって仕方ないので、話をうかがうことにした。
歴史を研究しようと思ったわけ
原作者でもないのに、僕は『花戦さ』という映画に入れ込んでいます。なぜそんなに入れ込んでいるのかというと、“人類共通の体験にしてほしいと思う映画だから”です。なぜか? その話に入る前にまず、なぜ歴史を研究するのかというところを話したいと思います。 歴史を学ぶことは、人間をほかの生き物と大きく分けるものなんだと思います。歴史は、違う時間や空間を生きた人間の体験を、自分の体験に活かすきっかけになるもの。自分の体験だけで判断すると、本能や情動に支配されやすく、不幸な過ちを犯しがちです。僕は、知恵の本体は歴史に宿り、歴史を知ることは、人の心をとらわれないものにし、広く解き放ってくれると思っています。 表現としての“映画”が素晴らしいのは、言語や文化背景が違えど、映画になったその歴史的体験を人類間で共有できるからなんです。一般的に歴史家の仕事とは、古文書を見つけ、解読することですが、僕の場合、自分の仕事が終わったと感じるのは、書いたものが映画になり、それを国際線の飛行機の中で見たときなんですね。僕は大きな野望を持っているので(笑)、活字にするのは“国際線の飛行機の中で見て欲しい”歴史上の人物や出来事なんです。だから、まずは映画になるのが嬉しい。『無私の日本人』(映画『殿、利息でござる』の原作)は、書いているときから映像化されるだろうと思っていました。 俳優でも、物書きでも、その仕事を“こなしている”感じに見える方がいます。でも仕事をうまく“こなす”ことはそれほど大事ではない。大切なのは、その先にあることだと思うんです。政治家もそうです。政治家というポジションの維持が大事なのではなく、なにをするかが重要。本当は、歴史家も大向こうに対してなにを言うかが大事なんですけど、僕の場合は忘れがちなので、いつも自分を鼓舞しています(笑)。