旗手怜央が語る恩師・鬼木達監督への生意気エピソード「もうサイドバックはやりたくありません」
【「勝敗は監督である俺が背負うものだから」】 今の自分が呆れるくらいの生意気なエピソードは、まだ他にもある。出場機会を大きく増やしたプロ2年目のことだ。インサイドハーフとして自信をつけてきていた自分は、ウイングで起用されることを不服に感じて、今度はオニさんに、こう言った。 「自分はインサイドハーフで勝負したいと思っています。だから、ウイングでプレーするのであれば、先発ではなく、ベンチスタートでいいです」 そんなひとりよがりな発言をすれば、メンバー外になっていたとしても、おかしくはないだろう。でも、次の試合のメンバーリストを見ると、自分の名前は先発に、しかもウイングのポジションにあった。 おそらく、ベンチに座ることになっていたら、自分の発言や行動を心底後悔しただろう。オニさんは、瞬間的な感情に任せた発言だと見抜き、理解し、僕を見捨てることなく先発起用して、信頼を示してくれた。 もうひとつ忘れられないことがある。2021年8月21日、アウェーのサンフレッチェ広島戦(1-1)のことだ。2試合連続の引き分けに終わり、チームが勝てずに責任を感じた自分は、試合直後に不覚にも悔し涙を流してしまった。 そんな僕を見かねて、(小林)悠さんは言った。 「2試合引き分けて涙を見せたら、(追いかけてくる2位の)横浜F・マリノスにスキを見せることになる。だから、泣くな! 顔を上げろ!」 ナイトゲームを終えて宿泊先のホテルに戻り、食事会場に出向くと、オニさんに会った。 「レオ、試合に引き分けて悔しいよな」 「悔しいっす」と、素直に答える僕に、オニさんは続けた。 「でもな、お前が背負うのは勝ち負けじゃない。勝敗は監督である俺が背負うものだから、お前は思いきってプレーしてくれればいいから」 東京五輪を終えて、(田中)碧と(三笘)薫が海外へ移籍し、チームの勝敗、結果、そのすべてを勝手に背負い込もうとしていた。オニさんは、そんな自分を見透かし、結果は自分が背負うと言ってくれた。その言葉に、プレッシャーから解放され、肩の力が抜けた僕は、再び自分のプレーを取り戻せた。