「最近、字を書いていない人」は大事なものを失っている…東大教授が授業中に愕然とした"東大生の返答"
■脳をたくさん働かせるから記憶が定着する 記録が正確すぎると、目が字面を追うだけでかえって読み返すことが雑になりがちですし、補ったり疑ったりして読まないので、その内容をうのみにしやすくなります。タイパを気にする世代なら、なおさらでしょう。そうすると、講演録をじっくり読み返しながら、その勘所を自分の頭の中に蘇らせるという大切な作業がおろそかになるわけです。 手書きのノートを取るときに、「ここが大事」というポイントを選んで残し、それほどではない情報は捨てるという作業をしています。脳内でそうした取捨選択が行われているときにこそ、リアルタイムで思考が進行していくのです。手書きによるそうした過程が記憶の定着を促すと言えるでしょう。 読み返すときも、手書きノートは結果として書かれた情報が少ない分、想像力を働かせる必要が出てきます。それが記憶の取り出しを活発化させ、記憶の定着に寄与することになります。 つまり手書きのノートは、書くときにも読み返すときにも、いや応なく脳をたくさん働かせる方法だと言えます。 ■電子機器は脳が働く余地を奪っている 対照的にキーボードによるノートは、手作業がやたらに忙しい一方で脳をあまり働かせない方法です。理解や記憶の定着に対して脳を働かせることが、特に学習では重要なのですから。 このようにキーボードなどの道具や電子機器は、利便性を追求する一方で、脳が働く余地を奪ってしまう恐れがあるわけです。パソコンを使えばたしかにスピーディにタイプでき、間違えたときに直すのも楽。プリントすれば読みやすい文字で印字されます。 講義によっては、レポートを書くのにワープロの使用を義務づけることもあるでしょう。それは評価する教員側が読みやすいからそうするのであって、手書きのほうが学生側の教育効果が高いということを見落としてしまっています。
■手書きで「コピペ」はハードルが高い 私の講義でレポート課題を出すときは、必ず手書きであることを条件としてきました。それは、インターネット上の情報を手軽にコピペ(コピー・アンド・ペースト)できないようにするためです。学生たちには「手書きで書き写そうとすれば、その間に良心の呵責に耐え続けねばなりません」とも、説明するようにしています。 そして合成AIが現れてからは、レポート課題を廃して筆記試験に限るようになりました。本来ならば、じっくり時間をかけて調べて考えさせるような課題のほうが、限られた時間の試験よりも教育効果が高いのですが、ワープロよりもさらに手軽な道具が現れた以上、背に腹は代えられません。 ■思考する時間が失われていることにも気づかない 振り返ってみれば、他人の手書きのノートを借りて自ら書き写すことなく、コピー機で手軽に、しかも大量に複写ができるようになったことが堕落の始まりでした。人が手軽さを求めるのはしかたなく、私の学生時代は、試験が近づくと、大学生協のコピー機の前に行列ができていたほどです。 今や電子ファイルをメールに添付してグループ送信できる時代です。そうやって思考する時間が失われていくのに、「失われた」ということ自体を意識することすら難しくなってしまいました。 道具に頼るあまり、人間の根幹である理解や記憶を犠牲にするとしたら、本末転倒ではないでしょうか。「デジタル機器とうまくつきあっていく」と言えるほど、これはなま易しい問題ではないと私は思うのです。 ---------- 酒井 邦嘉(さかい・くによし) 東京大学大学院総合文化研究科教授、言語脳科学者 1964年、東京都生まれ。東京大学医学部助手、ハーバード大学リサーチフェロー、マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学大学院総合文化研究科助教授・准教授を経て、2012年に同教授。02年、『言語の脳科学』(中公新書)で第56回毎日出版文化賞、05年、「脳機能マッピングによる言語処理機構の解明」で第19回塚原仲晃記念賞受賞。著書に、『脳を創る読書─なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか』(実業之日本社)、『チョムスキーと言語脳科学』(インターナショナル新書)、『脳とAI』(編著、中公選書)などがある。 ----------
東京大学大学院総合文化研究科教授、言語脳科学者 酒井 邦嘉