「よりよいものをより安く」はもう限界…衰退する日本企業の「最大の欠点」
「よりよいものを、より安く」の限界
日本企業には「よりよいものを、より安く」という価値観をもった企業が多い。クオリティーの高いものを割安な価格で提供することで世界を席巻し、技術大国としての地位を築いてきた。先進国の中で日本の人件費が低かった時代にはそれがうまく機能していた。だが、最新コンピュータによって制御された工場が新興国に建ち並ぶようになった時点で、このようなビジネスモデルは続けられなくなった。 ところが、日本企業の多くは人件費を削ってまでこだわり続けた。それがゆえに、新規学卒者を非正規雇用にするといった“禁断の手段”に手を染め、さらには正規雇用の若い世代の賃金までを抑制してきた。結果として低収入で結婚や出産を諦めざるを得ない若者を大量に生み出したのである。低所得の若者の増加は住宅や自動車の需要を奪い、消費を冷え込ませた。さらに内需型の業種まで負のスパイラルに巻き込んでいったのである。これでは少子化が進んだのも当然の帰結だ。自ら率先して国内マーケットを縮小させたようなものである。 「よりよいものを、より安く」といった経営方針だけでなく、最近は高齢者の増加が薄利多売のビジネスモデルを勢いづかせている。現役時代に比べると収入が少ない高齢者が国内マーケットの3割を占めるようになり、「値段を高くしたら売れない」という小売業や飲食業は少なくない。 とはいえ、国内マーケットの縮小が止まらない以上、数量を稼がないと利益が上がらないというビジネスは続かない。「よりよいものを、より安く」という美徳は素晴らしいが、人口減少社会には合わないのである。消費者も含めて「よりよいものは、それ相応の価格で」と意識を変えていかなければならない。
重要なのは「マーケットとの対話」
企業の幹部からは「生活必需品を扱っているので、高付加価値化といっても無理がある。人々の暮らしを安定させるのが我が社の使命だ」と言われることが少なくない。これはもっともな話だ。毎日使うようなものが高騰してしまったら困る人が増える。だが、こうした製品を扱う企業にも、国内マーケット縮小の波は容赦なく訪れる。 高付加価値化しづらい製品を扱っている企業の場合には、厚利少売でしっかり利益を確保できる部門を1つはつくり、薄利多売の製品とセットで利益を考えることである。どんなにマーケットが縮小しようとも、低価格で消費者に商品を届けるという企業が使命を果たし続けるためにはハイブリッド型でいくしかない。1つの会社では無理ならば、厚利少売の他企業と統合や連携を考えることだ。 厚利少売へのシフトには、マーケットとの対話が非常に重要となる。単に値段を上げたのでは客から見向きもされなくなるだろう。 日本人は長く外国人が少ない同質的な社会を築いてきたため、“阿吽の呼吸”で分かりあえるといった特異なコミュニケーション空間も作り上げた。そうした波風の少ないマーケットにおいては、作り手や提供者が良いと思って送り出したモノやサービスは、消費者にとっても買いたいモノ、利用したいサービスであることが多かった。 だが、高付加価値化を図るには顧客ニーズに徹底的に応えていく必要がある。顧客ターゲットを明確にし、商品やサービスの企画段階から市場のニーズを汲み上げていくことだ。技術力に自信のある日本企業の場合、オーバースペックとなりやすい。ヨーロッパのブランド企業には、顧客が好む色や大きさ、手触りなどを聞き取るためにメインユーザーと対話をしながら新商品開発にあたっているところもある。こうしたマーケティングの基本に、日本企業は立ち返ることである。 つづく「日本人はこのまま絶滅するのか…2030年に地方から百貨店や銀行が消える「衝撃の未来」」では、「ポツンと5軒家はやめるべき」「ショッピングモールの閉店ラッシュ」などこれから日本を襲う大変化を掘り下げて解説する。
河合 雅司(作家・ジャーナリスト)