「月光仮面」のヒットの理由 子供たちはテレビの中に何を見つけたのか?
「月光仮面」という番組それ自体は、低予算即製のちゃちな子ども向けヒーロー番組である。しかし、まだわが国のテレビ局の制作機能すらよちよち歩きの時代に、まるで制作経験のない一広告代理店がのろしをあげ、まだ一本立ちしていなかったプロデューサー、監督、そして端役の俳優たちが集って「本邦初の本格的テレビ映画」を作ってしまったベンチャーマインドたるや驚嘆あるのみだ。 そんなチープな作品が、放映されるや夕方の銭湯から子どもが消えるくらいの高視聴率をマークする。いったいこの魅力の核心はなんだったのだろうか。 月光仮面その人である大瀬康一氏自身による現場秘話もまじえて、60年前のベンチャー作品『月光仮面』について振り返ってきたが、連載最後となる今回は、いったいなぜこの(比類なき努力と創意の結晶とはいえ)安っぽいドタバタのような「テレビ映画」がそんなにまでヒットしたのか、そのことにふれてみたい。 ※「【連載】「月光仮面」誕生60年 ベンチャーが生んだヒーロー」第10回はいよいよ最終回。映画からテレビの時代の幕開けとなったテレビ映画「月光仮面」大ヒットの理由に迫ります。
結局、「月光仮面」の魅力とは何だったのか?
思うに、「月光仮面」の魅力は、当時開局したばかりであったテレビジョンの魅力そのものにかかわるように思われてならない。私が1960年代に「月光仮面」を再放送で見たときの印象は、すでに「ウルトラマン」のように多額の製作費をついやした本格的な「テレビ映画」があったので、すでに実にチープに見えたのだが、リアルタイムの「月光仮面」はテレビ放送のあけぼのの時期に放映された。そこが大事なところだと考える。というのは、「月光仮面」と同じく1958年に放映された白坂依志夫脚本の力作ドラマ「マンモスタワー」では、マンネリで凋落の兆しが顕在化してきた映画メディアと、中高年に白眼視されつつも若者に支持されているテレビメディアが対比されるのだが、ここで人気となっているテレビ番組はスポーツの「中継」なのだった。 手間ひまかかった重厚な映画を骨董のように上映して閑古鳥の鳴く映画館と、ボクシングの「中継」を臨場感とともに放映するテレビを置いて若者たちを集める喫茶店。この対比は、今や自明のこととして誰も意識していないが、それまでの映像メディアがフィルムによる作品という〈過去〉を鑑賞するものであった(ニュース映像でさえ「中継」ではなく近過去を上映するニュース映画であった)のに対し、テレビジョンはいきいきと〈現在〉をそのまま届けるものだった。この映像自体はチープであっても、この即時性のいきのよさは視聴者にとって大いなる魅力であった。すなわち今ではあたりまえのことながら、テレビを介してお茶の間に〈現在〉が流れ込んできたのは、わずか60余年前のことなのである。