断頭台では砕けた顎がだらりと下がり、苦痛に叫んだ…「恐怖政治の元凶」ロベスピエールはなぜ悲惨な最期を迎えたのか?(レビュー)
では、この仮説に対し、本書はどう答えているのだろうか? 伝記的検証の後に設けられた第20章「マクシミリアンの影」が示唆的だ。というのもこの章ではロベスピエールと恐怖政治との関係が次のような観点から分析されているからである。 (1)ルサンチマン説 大革命の主体となったマラのような人物を駆り立てたのは「旧体制や特権階級への憎悪と嫉妬」つまりルサンチマンであり、それが復讐的・懲罰的な処刑・暴力を呼び起こし、革命を救うための独裁を肯定した。清廉の人であるロベスピエールはルサンチマンとは無縁であったが、ルサンチマンから恐怖政治へと向かう動きを阻止できず、渦中の人となってしまった。 (2)陰謀論 革命初期に王侯貴族や僧侶を断罪するためにつくりだされた「敵」のイメージが、次には「味方の中に潜む敵」すなわち、旧来の敵と結託して反革命の陰謀を企てる内部の敵へと向けられるようになるが、ロベスピエールもブリソ派(ジロンド派)を敵と認定して以後はこの陰謀論を免れなかった。 (3)システムの支配説 国民公会にしろ公安委員会にしろ独裁できないような集権的なシステムであったがゆえにむしろ恐怖政治が招来された。国民公会ではジャコバン派は三分の一程度で、多数派は平原派と呼ばれる穏健派だった。「この穏健な多数派が、結果的に〈システム〉を下支えした」。つまり、多数派は初期にはナショナリズムに押されてブリソ派を、ついで戦況不利になるとジャコバン派を、そしてジャコバン派が分裂するとロベスピエール派を、そして最後は自分たちが狙われていると感じてアンチ・ロベスピエール派をそれぞれの段階で支持したが、ではいったい多数派がそれぞれの選択において依拠したのは何だったのか? それは多数派の自己利得であった。「清廉の人とは、〈腐敗していない人〉を意味する。彼がそう呼ばれたことは、逆にそれ以外の多くの政治家が腐敗し、利得のために妥協したことを示している」。 たしかにそうだろう。だが私が理解できないのは自己利得に敏感な多数派がブリソ派やダントン派との対決において、同じく利に聡いブリソ派やダントン派ではなく、清廉なロベスピエール派に加担したのはなぜかということである。