創価学会による「批判本の出版妨害事件」に田中角栄と松本清張が関わった事情
一宗教団体ながら、いまや国会のキャスティングボートを握る存在となっている創価学会と公明党。公明党と創価学会の関係は政教分離の観点から長らく批判されてきたが、ある書籍の出版を妨害する「言論弾圧出版事件」を起こし、さらに強い批判を浴びた過去もある。宗教現象に造詣が深い島田裕巳氏は「言論弾圧出版事件」以降の創価学会は迷走していたと分析する。その理由とは?※本稿は島田裕巳氏『完全版 創価学会』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 元首相・田中角栄がつないだ 自民党と公明党の蜜月 公明党が国会や地方議会で数多くの議席を獲得するようになっていけば、当然、それを警戒する動きが生まれる。次第に、創価学会=公明党を批判するような書物や論考が発表されるようになっていく。 なかでも、創価学会=公明党を揺るがすほどの事件を生むきっかけになったのが、明治大学教授で政治評論家の藤原弘達が刊行した『創価学会を斬る』という書物であった。 この書物は1969年11月に刊行されているが、その「まえがき」では、この本が出版されるまでに、創価学会=公明党からさまざまな圧力がかけられたことが記されている。 藤原によれば、10月に、「政府与党の最要職にある有名な政治家」から直接電話があり、「“創価学会を斬る”という本を出さないようにしてくれ、という公明党竹入委員長からの強い要請・依頼をうけての早朝電話である」と言われたという。 ここで藤原は名前をあげてはいないが、この有名な政治家とは、当時、自由民主党の幹事長であった田中角栄のことだった。 創価学会=公明党と、田中、ないしは田中派とは密接な関係があった。それを象徴する出来事となるのが1972年の日中国交回復だった。 公明党の委員長だった竹入義勝は田中の密命を帯びて訪中し、周恩来首相と会見した。これをきっかけに、田中の電撃的な訪中が行われ、日中国交回復が実現する。 その後も、消費税導入の際には、田中の跡を継いだ竹下登首相と公明党の矢野絢也委員長のラインが形成されていて、公明党は自民党に助け船を出した。こうしたことが、今日の自民党と公明党との連立へと結びついていく。