熊野古道中辺路【後編】近露の里から熊野本宮大社をめざす
熊野古道中辺路(なかへち)は、平安・鎌倉時代に法皇、上皇が100回以上も参詣を繰り返した熊野御幸(ごこう)の公式参詣道として知られている。前編では滝尻王子社から宿場町、近露(ちかつゆ)の里までを紹介した。今回は近露の里から、いよいよ熊野三山の一つ熊野本宮大社をめざす。
近露王子から近露の旧街道を東にとって、茶屋坂、楠山(くすやま)坂を登り、野中(のなか)の一方(いっぽう)杉へ。野中の一方杉は枝が一方向、南に向かって伸びていることからつけられた呼び名だ。石段を登りきったところに継桜(つぎざくら)王子の社殿が祭られている。藤原宗忠の日記『中右記(ちゅうゆうき)』には「継桜樹あり、本桧木也(もとは ひのき なり)」、つまり「根元がヒノキで上部が桜」と記されており、これが継桜の名の由来とされる。 ここ野中の一方杉では、明治政府によって推し進められた神社合祀政策の痕跡が残っている。神社合祀政策とは、複数の神社の祭神を一つの神社に合祀するというものだが、合祀によって神社の森が消えていくことを危惧した粘菌学者・南方熊楠たちは、鎮守の森の保存に奔走する。この一方杉も全伐の危機に瀕するが、熊楠たちの尽力によって、9本の杉が伐採から免れた。今、こうして一方杉を眺めることができるのは、先人たちの尽力のおかげであり、感慨深いものがある。一方、当時伐採されてしまった杉の切株は、現在も境内に残されている。
時間があれば、一方杉の真下、旧国道沿いにある日本名水百選、野中の清水に立ち寄っていこう。諸説あるが、『古今和歌集』で詠まれている「いにしへの野中の清水ぬるけどもとの心を知る人ぞくむ」という歌は、この野中の清水ともいわれている。 一方杉に戻り、とがの木茶屋の休憩舎へ。秋には目の前の紅葉が疲れた体を癒してくれる。休憩舎をあとに中川王子を経て小広(こびろ)王子へ。小広峠を越えると、小さなアップダウンが続き、山また山に分け入る様相となる。草鞋(わらじ)峠を下るが、このあと岩神王子へ道は通行止めのため、右手の迂回ルートに入る。岩上峠を越えて蛇形(じゃがた)地蔵、湯川王子を経て、三越峠を越える。