妊娠22週、493gの小さな小さな男の子。受け入れることも理解することもできないまま臨んだ出産。その命に向き合い続けた6カ月間の記録【体験談】
毎日NICUで6時間を過ごし、わが子を見つめるだけだった日々
恵さんの自宅から奏明くんがいる病院までは片道1時間ほどの距離。恵さんは体調が回復してからは毎日NICUへ通い、そこで6時間を過ごす日々が続きました。 「生後間もないころは、面会に行ってもすることがないんです。まだ皮膚も未熟なために触れることもかないませんでした。大きな保育器の中にいるわが子を、ただ見つめるだけの時間を過ごしていました。 この子のために私にできることは母乳をあげることだと思い、なんとか母乳がたくさん出るようにいろんなことをしました。母乳分泌にいいといわれるものを飲んだり食べたりして、昼夜かかわらず3時間おきに搾乳をして冷凍して、それを毎日NICUに届ける日々です。それでも、小さな奏明が母乳を飲む量は1回にたった5mLほどです。それを1日8回飲むとしても40mLほど。 だから母乳がよく出るようになって病院に届けても、『しばらく母乳は持ってこなくて大丈夫』と言われてしまっていました。家の冷凍庫は母乳のパックでいっぱいに…。だけど、搾乳しなければ母乳が出なくなるし、乳腺炎などのトラブルにもなるので、搾乳しては捨てていました」(恵さん)
不安ばかりの心が救われた、おなじ境遇のママたちとの出会い
奏明くんがNICUに入院していた当時を振り返ると、恵さんは「感情の起伏が激しい時期だった」と言います。 「NICUへ面会に行き看護師さんに奏明の体調を聞いたときに『今日はちょっとお熱があります』『今日は血糖値が上がってしまいました』と、よくない状態のことを聞くとひどく落ち込んでいました。でも、体重がほんの少しでも増えたと聞いたり、保育器の奏明に触れられたり、というときには、喜びいっぱいの気持ちになります。 奏明の状態によって私のメンタルも上がったり下がったり。少しずつの成長は喜びでしたが、やっぱりNICUに入院している間は『いつどうなるかわからない』と不安な気持ちが大きかったんです」(恵さん) 恵さんは奏明くんとの長時間の面会の途中に、院内の搾乳室を利用して搾乳をしていました。そこでほかのママと出会ったことが、不安定だった心の大きな支えとなったそうです。 「コロナ禍を経て搾乳室が廃止になってしまった病院もあるようですが、当時はコロナ前で搾乳室があったんです。そこが、赤ちゃんがNICUに入院しているママたちの出会いの場になっていました。『何週で生まれたの? 』『何グラムだったんですよ』なんておしゃべりをして仲よくなり、連絡先を交換しました。自分とおなじ境遇の人の存在はとても大きいものです。 NICUの面会時間は12時半からだったので、その少し前に集まってランチをしてからみんなで面会に行ったり、だれかが退院したらみんなでパーティをしたり。そんなママたちとのつながりで、心がすごく救われました」(恵さん)