妊娠22週、493gの小さな小さな男の子。受け入れることも理解することもできないまま臨んだ出産。その命に向き合い続けた6カ月間の記録【体験談】
493gで生まれた小さな、小さな男の子
2018年3月末、入院した翌日に恵さんは帝王切開で男の子を出産します。予定日は7月だったので、4カ月も早い出産でした。 「私が手術室にいる間、夫はずっと泣きっぱなしで師長さんになぐさめてもらっていたらしいです。夫は私と赤ちゃん、2人のことをすごく心配してくれていたんだと思います。担当してくれた医師は、私のおなかの縫合が終わったときに『おめでとうございます』と言葉をかけてくれました。突然の出産でしたが、そう言ってもらえたのはうれしかったです。 生まれた赤ちゃんは男の子でした。顔を見せてもらったら、すぐに保育器に入れられてNICU(新生児集中治療室)へ運ばれていきました。手術室の外の廊下で待っていた夫は、赤ちゃんがNICUへ移動するときに会うことができたそうです。あとで聞いたら『ちっちゃかったし、赤かった』と言っていました。赤ちゃんの体重は493g、身長は29.5cmでした」(恵さん) 出産後しばらくの間、恵さんは高血圧と、体調の悪い状態が続きました。 「なかなか起き上がることもできなかったので、私が搾乳した母乳を看護師さんがNICUに届けてくれたり、看護師さんが赤ちゃんの写真を撮って私の病室に届けてくれたりしていました。やっとNICUの赤ちゃんに会えたのは産後5日ごろだったと思います。めまいでクラクラしながら、車椅子で連れて行ってもらい5~10分ほど面会しました。 保育器の中にいたのは、モニターや人工呼吸器がつけられた状態で、ガーゼにくるまれた小さな小さな赤ちゃんでした。生まれたときからさらに少し体重が減ったようで、想像以上の小ささ。保育器がすごく大きく感じるくらいです。やっと会えたわが子はやっぱりかわいいな、と思いました」(恵さん) 恵さん夫婦は、お互いの名前から1文字ずつをとって組み合わせ、赤ちゃんに「奏明(かなめ)」くんと名づけました。
赤ちゃんが生まれたことをだれにも話せなかった
予定より4カ月早い出産となったことを、恵さんは夫以外のだれにも話せませんでした。 「赤ちゃんを早産したことは、両親たちにも友人にも、だれにも言わずにいました。それは、赤ちゃんが生きられないかもしれない、と言われていたからです。そこまでを含めて話すなんてことできません…。職場には『体調不良でしばらく休みます』とだけ伝えました。 私の実家も夫の実家も、親せきや近所づき合いが密なタイプで、子どもが生まれたとなるとすぐに情報が広まり、だれに連絡するか、内祝いをどうするか、といったことが話題になります。赤ちゃんの命がどうなるかわからない段階で、そんなことまでとても考えられないと思いました。双方の両親に出産を伝えたのは生後3週間くらいたってからでした。 私も精神的にとても参ってしまっていたので、だれとも連絡を取りたくない気持ちが強かったのかもしれません。私は産後10日くらいで退院して、その後は面会に行く日々が始まりました。奏明は依然としてNICUに入院中…。奏明の健康状態が少し悪くなったりすると、面会時間外でも、深夜でも病院から連絡が来るんです。その電話には必ず出たかったので、携帯電話での着信音の設定は病院の電話番号だけにして、ほかの番号は音が出ない設定にしていました」(恵さん)