「売れたのはラッキーの積み重ねだった」――紅白ラッパー・SEAMO、今は馬主に 振り返る絶頂期
もう一度紅白に出たい、武道館に立ちたい―――。そう考えるのは、ラッパーのSEAMOだ。2006年の「NHK紅白歌合戦」に出場し、2008年には日本武道館で単独ライブを開催。しかし、次第にテレビで彼の姿を見る機会は減っていった。現在は地道に音楽活動を続けつつ、なんと馬主として競馬界で知られた存在になっているという。波乱万丈なSEAMOのジェットコースター人生を追った。(取材・文:山野井春絵/撮影:佐々木康太/Yahoo!ニュース 特集編集部)
絶頂はほんの一瞬、全てが悪いほうへ転がっていく
2005年に彗星のごとく現れ、翌年には「マタアイマショウ」「ルパン・ザ・ファイヤー」など大ヒット曲を連発したラッパーのSEAMO。同年、「NHK紅白歌合戦」に出場し、2008年には日本武道館で単独ライブを果たすという、ミュージシャンの夢を一気にかなえた男だ。 「次はドームツアーかな」 当時はそんな考えも無邪気に浮かんだが、そこからは苦難の連続だった。 スキャンダルを起こしたわけではない。どんな仕事にも真面目に取り組んだ自負もある。しかし、セールスや動員は低迷していく。 「少しずつ、何かが噛み合わなくなっていった……そんな感じでした。それまでは、シングルを出せばすぐ上位にランクイン、『ミュージックステーション』は出演できて当たり前、みたいな時期があって。それが、だんだん“当たり前”じゃなくなっていくんです」
特につらかったのは、レコード会社を移籍した2012年ごろ。会社とコミュニケーション不足に陥り、マネージャーは頻繁な交代を繰り返す。 「マネージャーがいない時期すらあった。孤独でした。とにかく、音楽を作りながら、じっと耐えるしかなかった」 やがてヒット曲が作れなくなったことの「責任者探し」が誰からとなく始まった。 「『マタアイマショウ』以降は、曲に対して誰にも文句を言われない時期があったんです。あの曲は、当時目新しかったラブソングのラップで、みんなが売れないと予測するなか、結果、当たった。だから『SEAMOには何も言えません』みたいになって。だけど、売れなくなると、『あれがよくない』『あいつがよくない』って責任の所在を探り合うようになった」 「僕自身も人のせいにしていたところはあります。やがて会社の人間も、『SEAMOにやらせているからダメなんだ』ってなって、どんなにデモテープを上げても、納得してもらえない。やらされている感覚にも陥って。どんどん、悪いほうへ転がっていきました」