「売れたのはラッキーの積み重ねだった」――紅白ラッパー・SEAMO、今は馬主に 振り返る絶頂期
ユーチューバーになってチャンスを見つけたい
現在44歳のSEAMOいわく、「僕たちが、『CDバブル』の最後の恩恵を受けた世代」。「サブスク」が台頭する現在の音楽シーンに、何を思うのか。 「CDが売れなくなったことに対して、僕らの世代の人はぼやいてると思いますけど、あの時がむしろ、異常だったんじゃないかな。だからこそ本物が生き残れる時代。ちゃんとやるべきことをやって、『この人のライブが見たい』と思わせるようなアーティストでいたい」 これからの夢を尋ねると、「ユーチューバーになりたい」と即答した。 「自分で次のチャンスを見つけたいですね。本音を言えば、もう一度、紅白にも出たいし、武道館で単独ライブがしたい。あの時は、本当に、わけもわからず晴れ舞台に立っていたという感じで、感動して泣くということもできなかった。今度こそきちんと、思いを噛みしめたいんですよ」
SEAMO(しーも)
1995年より地元名古屋、東海地区を中心にシーモネーターとして活動をスタート。2005年、シーモネーターとしての活動はやりつくしたとの思いから名前をSEAMOに改名。2006年にリリースした4thシングル「マタアイマショウ」がロングヒットとなる。自身が発起人となり東海地区の夏フェス「TOKAI SUMMIT」を10年連続で開催するなど、名古屋に縁の深いラッパー、シンガーソングライターである。SEAMOとしてデビュー15周年迎え、プライベートでも親交のある堤幸彦が監修したノンフィクション映画「もしもあの時 ” if ”」が公開中。