川崎Fが達成したJ1通算300勝の価値
ホームの等々力陸上競技場に鳴り響いた主審のホイッスルが、王者・川崎フロンターレにとってマイルストーンとなる白星を告げた。史上10チーム目となるJ1通算300勝目への到達。選手として初勝利の瞬間も経験している鬼木達監督(46)が、感慨深げな口調で振り返った。 「かなり長い歴史だな、と。一番苦しい時代を過ごした、という思いもあるので」 勝ち点や勝利数、総得点などで歴代最多をマークするなど、記録尽くめの独走優勝を果たした昨シーズンで2戦2分けと、唯一勝利をあげられなかったサガン鳥栖を1-0で振り切った7日の明治安田生命J1リーグ第8節。指揮官の脳裏には2000シーズンがフラッシュバックしていた。 前年のJ2を制し、初めてJ1の舞台に臨んだ川崎は開幕からアビスパ福岡、鹿島アントラーズ、サンフレッチェ広島にすべて1点差で3連敗を喫した。迎えた4月1日の第4節。ヴィッセル神戸を1-0で下した敵地・神戸ユニバー記念競技場のピッチに、25歳だった鬼木監督もいた。 もっとも、その後も苦戦を強いられ、最終的には7勝4分け19敗の最下位に終わる。J1の厚い壁にはね返され続けた2000シーズンと、翌年から4シーズンにわたったJ2での戦いが、中盤の一角として奮闘した鬼木監督をして「一番苦しい時代を過ごした」と言わしめた。 「2000年のときはみんなに期待されて、自分たちも期待したなかでなかなか応えられなくて、その後もJ2の時代が長かった。ただ、その意味で言うと、そこからしっかりと築き上げてきたものがあるので、やはり土台というものが大事だとあらためて思っています」 再びJ1へ挑んだ2005シーズン。川崎は明確なスタイルを引っさげて8位に躍進した。2003年に中央大学から加入し、昨シーズン限りで引退したレジェンドの中村憲剛さんは、当時の戦い方を「往復ビンタの張り合いなら絶対に負けない」と表現したことがあった。 浦和レッズに次ぐ2位に躍進した2006シーズンに、往復ビンタの張り合いの意味がわかる。それは1点取られたら、2点を取り返す――。中村さんの正確無比なロングパスにジュニーニョ、鄭大世(現FC町田ゼルビア)らのFW陣がカウンターを発動させる形を中心に、昨シーズンの川崎に破られるまで歴代最多記録だった総得点84をマークした一方で、総失点も55を数えた。