シリコンバレーは「自動車」を作れるか?
プリメーラを車に仕上げた日産実験部隊
「それは起亜の技術が低かったからではないか?」という疑問もあるだろう。そういう意見に対しては日産の話をしたい。日産にはかつてプリメーラ(P10型)というスポーツセダンがあった。日産が901計画を打ち出し、1990年に世界一のハンドリングカーを作るという目標を掲げて送り出したモデル群の内でも、極めて高評価を獲得したモデルだ。 しかし、プリメーラが売れて「多少は乗り心地が悪くても素晴らしいハンドリングを評価する」というアーリーアダプター以外の客が「人気車だから」という理由で購入し始めると「乗り心地が悪い」というクレームが続出した。以後プリメーラはマイナーチェンジやフルモデルチェンジの度に、ハンドリングと乗り心地という相反する要素を振り子の様に行ったり来たりする。 三代目のP12型が出た頃には、日産のモデル統合戦略の影響もあって、コンセプトはグズグズになっており、何も傑出した所のない普通のセダンになっていた。こうしてプリメーラは誰にも注目されないクルマになり、この世代限りでカタログから消えていくのだが、その最終モデルに日産実験部隊の意地を見た。
「ITドライビング」というピント外れのキャッチコピーをつけられたP12は、センターメーター下に装備した当時としては大型のモニターと、センターコンソール上部に設けられた入力ボタンやジョグダイヤルを使って、現在でいう「Iot」へと踏み出す近未来的な自動車を狙っていたが、搭載されたQR型エンジンは、そのイメージと相容れない牧歌的な古いフィーリングのエンジンで、しつけの良くないCVTと相まって、アクセルを踏む度に「ブォーッ」と勇ましい音を立てて吹け上がり、同世代の競合車、トヨタ・アベンシス、ホンダ・アコード、マツダ・アテンザあたりと比べるとどうにも古臭いクルマに成り果てていた。 ハンドリングもP10時代と比べると凡庸で見るべきものがなかった。特に初代で絶賛されたフロントタイヤの接地感がどうにも頼りなく、むしろある種の昔懐かしさを感じさせるクルマになっていた。余談だがこういう話をすると「後出しで言うな」と言う人がいるが、ちゃんとその当時の雑誌にも書いてある。 ヒットモデルに多くの人が群がって寄ってたかって「あれもこれも」と要件を盛り込んで改悪し、最後にはおそらく開発部隊までが見捨てたそのクルマを最後になんとかまとめたのは実験部隊だった。 彼らは、絶対的なコーナーリング性能を捨てて、意図的にグリップの低いタイヤを与え、それに合わせたサスペンションセッティングをすることで、前後のグリップバランスを改善して見せた。大して飛ばしていなくてもタイヤがスキール音を発生して滑り始めるのはどうにもならないが、その過渡特性を穏やかに仕上げて、とりあえず何とか形にまとめ上げたその情熱と意地に感動したことがある。