自転車に乗れないアラフィフが「超有能に見えて驚くほど無能」な女性に救われた理由
保育園の送迎は天才ばかり
自転車に乗れないので、保育園の送迎も抱っことベビーカーでこなしてきた。多くのママたちが自転車でぴゅーっと抜かして行くのを見ながら、娘に「自転車で保育園に行きたい!」と何度おねだりされたことだろう。自転車を持ってもいないのだが、その度に、「うちの自転車はこれだから!」とベビーカーを押して猛烈ダッシュしていた。ダッシュしたら思い切り転んでデニムパンツの膝に穴が開き、打ち合わせに膝に穴があいたパンツで血を垂らしながら臨んだこともある。 こうして「自転車に乗れない人生」を30年以上送っているが、「自転車に乗る」という行為は、もはや「自転車、乗れる?」と確認されるものではなく、「乗れることを前提として話が進む」ことが多い。 ちょっと自転車でひとっぱしり買い物行ってきてよ。 いや、できません。 天気がいいからサイクリング行こうよ! いや、行けません。 健康体でありながらも、みんなができて当然と思われることができない。その現実はけっこうグッサリと刺さる。
憧れは一見そう見えないのに運動神経のいい人
そして、できないのは自転車だけではない。 忘れもしない小学4年生のころ、跳び箱の授業で飛べた人から抜けていく授業があった。心から憂鬱だった。実は3年生のときに跳び箱に失敗したら先生から「危ないじゃないか!!」と怒鳴られた経験があり、それ以降「たまに飛べていた」跳び箱が一切飛べなくなっていたのだ。そして案の定、何度やっても飛び越えることができず、授業の最後まで残っている2人のひとりだった。 そういう時に、周りが笑ってくれたら楽なのだが、「えっ、まさか!」という顔をされたのである。これが一番グッサリ来る。いや、出来ないんですよ。跳び箱怖いんですよ。勝手に期待値あげるのやめてください。 声がでかいゆえに一見運動神経がよさそうに見える筆者が”できない”ことにびっくりされることが一番嫌だった。笑ってくれたらまだいいのに、見てはならないものを見ちゃったという表情が多かったのだ。 だから最も憧れるのは、「一見運動ができそうになくて運動神経のいい人」。見るからにインドアなのに走らせたらカモシカのようだったり、バレーボールのトスさばきが鮮やかだったり、テニスで見事なフットワークを見せたり。「ああ、うらやましい」「なんて素敵!」と心から思う。「私は引きこもりだから」と語っていた人がテニスをしたらめっちゃうまくて、「裏切り者め!」と心の中でつぶやいたこともある。