「最後なんだからむしろガンガン行った方がいいよ」ジャイアント馬場没25年追善大会で引退試合を迎える太陽ケアへ川田利明が熱いエール!
『ジャイアント馬場没25年、早いな~』と思ってたら同時に”太陽ケア引退試合”も行われると。二人にゆかりのある川田さんが経営するラーメン店『麺ジャラスK』でランチをいただいた後、お話をお聞きしてきました(聞き手:スレンダー川口) ――先ほどカレーラーメンを堪能させていただきました。ご馳走様でした。 「いえいえ、こちらこそありがとうございます」 ――このスープでカレーちゃんこ食べたらめっちゃおいしそうです! 「ふふふ(笑)」 ――馬場さんが亡くなられてもう25年ですね。僕は川田さんが馬場さんとタッグマッチでぶつかったやつが好きなんです。 「あ、仙台!(91年12.2宮城県スポーツセンター 馬場・アンドレ組vs三沢・川田組)」 ――流石!覚えてらっしゃいますか。 「俺が馬場さんにスモールパッケージで負けた。でっかい人がちっちゃい人にスモールパッケージやるやつだよね(笑)」 ――ジャイアントスモールパッケージホールドですね(笑) 「馬場さんすごい器用なんだよね。運動神経も良くて。みんなで卓球やると一番強かったんだよ。合宿行った先で草野球チームと試合したときなんか、相手ピッチャーからみんな打てなかったのに馬場さんだけ打ち返してたし」 ――川田さんは馬場さん、アンドレ、ハンセン、その後はベイダーなど名だたる強豪と対戦されています。そういえばブロディとの対戦は? 「あ~、ブロディは無いんじゃないかな。ハンセンはああいう体つきしてるけどすんごいスタミナあるし、瞬発力もあるし。まあでも、俺の年代でいうと全日本に限らず新日本とやったり、ほんとにいろんな選手と戦ったよね」 ――三銃士全員とシングルやった四天王は川田さんだけですもんね。 「みたいね」 ――改めて馬場さんの思い出といいますと。 「まあ言ったらキリが無いんだけど…。みんなは馬場さんが影で練習してる姿は知らないからあれなんだけど、ホテルはいつも階段。エレベーターを使わないで階段で上り下りしてたし、そういう何だろうな、普通の人が見えないところでやる努力。俺たちはそういうところを見てるからなのか、影で練習をするのが全日本の選手なんだよね」 ――付き人をされてましたらやはり会場でも練習をサポートされたりとか。 「いっつも誰よりも早く会場入りしてたよね。新弟子たちの練習も馬場さんは付き合ってたから。若手の練習を見てあげるとか目的もあったろうし」 ――その練習中、リング上で馬場さんがおひとりのところに猪木さんがやってきたというお話が(1984年4.4 岡山武道館) 「それね~、俺あんまり覚えてないんだよね。その場にいっしょにいたはずなんだけど」 ――ご自身の猪木さんとの接点は? 「無いね~。あんまり会ったこともないし。猪木さんとは写真に残ってるその時となんかのパーティーの時に猪木さんが入ってくる時にすれ違ったぐらいで。実は永島勝司さんに「猪木さんが近くにいるけど会いに行くか?」って言われたんだけど、頑なに俺は断ったの」 ――そうなんですか!? 「うん、なんかそういうので会っちゃうと何かぐ~っと引き込まれちゃうんじゃないかって」 ――とても興味深いです。 「そういう能力を持ってる方じゃない?猪木さんて。うん」 ――馬場さんの側にずっといただけに余計に感じるのかも知れませんね。 「でも馬場さんは俺みたいな付き人はかわいくないと思うんだよね。ちゃんとこなしちゃうから、全部」 ――優秀なのにかわいくないと? 「だってつまんないじゃん、つっこみどころがないから(笑)。やらかすやつほど「こいつはしょうがねえんだ」って話もできるじゃん」 ――なるほど。今回、太陽ケア選手が引退試合ということですが入団当時のエピソードなどぜひ。 「ケアは馬場さんと元子さんにかわいがられて育った印象があるね。ハワイから連れて来たから大事に大事に育てられたレスラーかな。ケアとは練習とかも世代が違うから試合でしか接点がないし、そういうレスラーだからこそ俺は試合では厳しく、いじめたくなるよね(笑)」 ――試合では厳しく、良い先輩だと思います(笑) 「気持ち的にはハワイから1人で来て、日本でやってくのは大変だからね。今とは時代が違うもんね。でも小橋とか菊地が入ってきたあたりからかな、その後はそんなに厳しい時代じゃなかったから」 ――三沢さんが何かの折に「ケアはオフになるとハワイに帰っちゃう」とおっしゃってたことが印象に残っちゃってます。 「実はケアも最初のころはずっと日本に残ってたんだけど、馬場さんがハワイに行くから連れていってたのかな。リチャード・スリンガーとかはずっと日本にいたかな。あ、テンタ(ジョン・テンタ)なんかはずっと合宿所にいたね。階段上がって左の部屋」 ――部屋まで覚えてらっしゃるんですね。 「その後その部屋に入ったのが小橋。あそこはずっと汚部屋だよ。ずっとちらかってる(笑)。その二つ隣の部屋はふとんをはがすとキノコが生えてたり(笑)」 ――なかなかの環境ですね(汗) 「みんな冷蔵庫空けて勝手に食っちゃうし、残り物で勝手にカレー作って食っちゃったりとかさ。もう馬場さんが『お前ら合宿所に迷惑かけるんだったら出てけ!』って」 ――追い出されそうになるぐらいだったんですね(笑) 「昔のちゃんこなんて大部屋で座りこんで食べてたけど、それこそ秋山やケアが入ってきた頃にはテーブルになってたし。俺のいたころなんて『道場』ですらなくて、普通の古い家といわゆる工事現場のプレハブだもんね。今の工事現場の事務所なんてしっかりして快適になってるけどさ、そんなんじゃなくてトタン屋根でコンクリートむき出しでさ!」 ――もちろんエアコンなんて・・・。 「無いよ!部屋にも無いのに!(笑)。ケアとかが来たころ合宿所にエアコンが付いてキッチンも綺麗になったんだよ。だから甘やかされて育ったようにも感じて、リングの中だけはもう甘やかしちゃいけないって思って厳しく行ってたよね」 ――そのケア選手が引退試合を迎えます。 「あれ?ケアって今いくつだっけ?」 ――今49歳ですね。 「49まで大きなケガなくやれてるって凄いことだよ。大ケガをしないってことはある意味上手なんだろうな」 ――ケア選手にメッセージを送るとしたらなんと? 「引退試合を俺はやってないから分かんないんだけど、こんなふうにやってもらえるって羨ましいし、『もう最後だから怪我しないように』ってレスラーに言うのもおかしな話なんだけど(笑)、でも最後だからガンガンいってほしいなって思うよね」 ――むしろボロボロになって欲しいぐらいですか。 「最後だから後悔しない試合した方がいいよ。だってその試合のためだけに来るんでしょ?」 ――翌日は秋葉原でトークショーもあります(ジャイアント馬場没25年スペシャルトークショーファイナル~MAHALO太陽ケア~) 「ケアひとりで喋れんの?(笑)」 ――MCは木原リングアナ、通訳の方もいらっしゃいます。 「昔の人は覚えなければ自分がやってけないとか大変だったからね。そういう点ではトンガさん(プリンス・トンガ=キング・ハク)なんて去年電話で話したんだけどさ、まだ普通に日本語喋れるもんね」 ――では最後に来場を迷ってる方に一歩踏み出すひと言をお願いします! 「最後の試合っていうとさ、綺麗な試合をしたがる人とかいるんだけど、そうじゃないレスラーがいても良いと思うよ。皆さん、ケアの完全燃焼、見届けてあげてください!」
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