ユダヤ文化を知る――京都の職人が作ったコマがイスラエル人に大好評だった話
京都の伝統工芸品「京コマ」がイスラエルからの観光客に人気だ。コマは「光の祭り」とも呼ばれるユダヤ教の祭事「ハヌカ」を象徴するアイテムだという。日本のコマ職人がユダヤ人向けにアレンジしたコマを作れば、世界中でヒットするのではないか。ラビ茶に続く「日本文化×ユダヤ文化」プロジェクト第2弾が始まった。 ※こちらの関連記事もお読みください。 ユダヤ文化を知る――正統派のラビが日本大使を「茶の湯」でもてなした話 *** 「もういくつ寝るとお正月 お正月には凧揚げて コマを廻して遊びましょう」 童謡『お正月』の一節である。日本人ならば誰もが口ずさむことのできる歌の一つだが、この歌詞のようにお正月にコマを廻して遊んでいる少年少女は、今の時代どれくらいいるだろうか。筆者は最近の小学生とお付き合いがないので何とも言えないが、少なくともすでに親世代に突入した筆者の同級生からは、子供にコマで遊ばせているという話は聞かない。 今回は、そんなコマとユダヤ文化の関係についてお話をしたい。
京都で最もコマを買う外国人はイスラエル人?
以前の記事(https://www.fsight.jp/articles/-/50571)で、筆者が絶滅の危機に瀕する京都の伝統工芸の現状を調査したことを紹介した。調査を決意したきっかけは、京コマを製作する「雀休」の中村佳之さんとの出会いだった。 当時はコロナ禍で外国人はおろか日本人の旅行客もほぼいない状況ではあったが、パンデミック直前の2018年から19年にかけては京都に外国人観光客が殺到し、「観光公害」という言葉もテレビや新聞で報じられていた。それを念頭に、「外国人観光客では、どのような国の人がコマを購入しますか」と聞いてみたのだが、中村さんは「イスラエル人が多い」と答えた。 筆者はその前年にイスラエルに留学し、パンデミック発生に伴い日本に帰国していたのだ。まさか京都のコマ屋さんからイスラエルという国の名を聞くとは思わず、やや食い気味に「なぜイスラエル人なのですか?」と聞いてしまった。中村さんも明確な理由はわからないものの、どうやらユダヤ人にもコマで遊ぶ文化があるらしい、ということだった。 そこでようやく、以前イスラエルで「ハヌカ」というユダヤ教のお祭りに招かれたことを思い出した。ハヌカは「光の祭り」とも呼ばれ、祭りの期間は街中が様々な装飾で彩られるのだが、その中にコマの絵柄の切紙があるのを見て、なぜだろうと不思議に思った記憶があったのだ。 調べてみると面白いことが分かった。日本におけるコマの歴史は古墳時代にまで遡る。もっとも、現存する最古のコマが古墳時代の遺跡から出土している、ということなので、実際はもっと昔からあるものかもしれない。一方で、世界最古のコマはというと、5000年前のメソポタミア文明が発祥とも言われており、日本のコマの歴史とは比べ物にならないほど古い。 コマとユダヤ人の繋がりは紀元前165年、今から2200年以上前に始まる。明確な史実はわからないが、日本人よりもユダヤ人の方が先にコマを手に取っていた可能性もあるということだ。当時、セレウコス朝(ギリシャ系)に征服されたユダヤ人たちは聖書の勉強を一切禁じられてしまう。しかし信仰心を捨てられなかった人たちは洞窟の中で隠れて聖書を読んでいた。そこにギリシャ兵が通りかかったが、機転を利かせたユダヤ人たちは、聖書を岩の下に隠し、あらかじめ用意していたコマを取り出して遊び、難を逃れたという。 その後、ヨーロッパに渡ったユダヤ人たちが、側面が4面になったコマをサイコロの代用として使い始める。そしていつしか、ギリシャからの解放を祝う冬のお祭りであるハヌカで、信仰を守るシンボルであるコマを廻して遊ぶようになった。なお、コマの4つの面には、נ ג ה ש(それぞれNun、Gimel、Hei、Shinと発音される)という4つのヘブライ文字が1文字ずつ書かれている。これは、נס גדול היה שם (ネス・ガドール・ハヤ・シャム=そこで偉大な奇跡が起こった)の頭文字だ。コマを回して出た文字ごとに、割り当てられた数のコイン(現代ではチョコレートも。詳しくは後述)を受け取ることができるというのがルールだ。 これまで日本の玩具だと信じて疑わなかったコマが、海外ではより古い歴史を持ち、しかも、遠く離れた中東にルーツを持つことに驚いた。