ユダヤ文化を知る――京都の職人が作ったコマがイスラエル人に大好評だった話
伝統文化が共通言語になる時代
日本が強みを持つ職人技や伝統文化は、これからの時代の共通言語として国際貢献にも活用し得るはずだ。冷戦期の東西両陣営の対立が解消されて以降、長らく経済が世界の共通言語の役割を果たしてきた。ゲーム理論的な発想で、お互いにメリットがある行動をとる。共に、将来の利益を合言葉に、経済的な相互依存関係を構築してきたのである。しかし、最大の問題は、経済においては常にウィンウィンとはいかず、時に勝ち負けが分かれてしまうこともある、ということだ。順調に経済発展できる国もあれば、うまくいかない国もある。 近年は、地球温暖化という世界全体の課題を新たな共通言語として、そうした歪みを乗り越えようとしているが、全ての国が協力的にはなれていない。例えば、筆者が商社で担当していたアフリカでは、「先進国のつけをなぜ我々が払わないといけないのか。挙句、脱炭素に関する技術もノウハウもないアフリカ諸国は、その技術を先進国に依存する。地球規模の問題と言いながら、結局利益を得るのは先進国ではないか」という声を聞いた。 2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、経済的な相互依存関係が必ずしも戦争を防げないことが証明された例であろう。ロシアの経済を考えればウクライナと戦争を起こすことは100%非合理的だ。制裁は厳しくなり、多くの国々と事業ができなくなる。しかし、ロシアはウクライナという地域に、お金に換えられない価値を見出し、世界を敵に回すリスクを無視してまで開戦に踏み切った。なぜロシアがこうした行動をとったのかは筆者にもわからないし、今も日々続く暴力は到底許せないものだ。だが、ウラジーミル・プーチン大統領が開戦演説で、欧米諸国への不信感のみならず、長いロシアの歴史や文化を滔々と語るのを見ると、経済発展のような未来志向だけではなく、それぞれの国々の違いや過去を直視する必要があると感じた。 文化的な共通言語を持てば、こうした勝ち負けの世界に、第三の関係性を生み出すことができる。国粋主義的でもなく、安易なグローバル思考でもなく、ローカルとグローバルを行き来する。筆者は、21世紀の世界は文化が基礎となると考えており、日本はそれをリードする立場を目指すべきである。自国のことだけでなく、世界に向かって「文化のことなら日本に任せろ」くらい言ってほしいものである。机の上で廻るコマを、今この瞬間も回り続ける地球に重ねて、ふとそんなことを考えてみた。
G7/G20 Youth Japan共同代表/東京大学先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)連携研究員 徳永勇樹