“慶應ボーイ”ハードラー・豊田兼(21歳)が「195cmの超フィジカル」と「緻密な計算」でパリ五輪内定…「イチかバチか」攻めの決断で見せた圧勝劇
新潟で行われている陸上・日本選手権の男子400mハードル決勝。フィニッシュラインを真っ先に駆け抜けた豊田兼(慶應義塾大)は右手を大きく突き上げて喜びを表した。 【写真】「えっ、何頭身なの…?」195cmの“慶應ボーイ”豊田兼(21歳)モデル顔負けの長~い手足と爽やかフェイス。試合での迫力のハードル飛越に、スタート前の集中の瞬間も…この記事の写真を見る すでにパリ五輪の参加標準記録を突破しており、今回の日本選手権での日本代表内定第1号となった。 「もちろん優勝すれば内定というのは分かっていたんですけど、それでも現実味が湧かなかった。本当にサポートしてくださった皆様に感謝したいと思います」 レース後の囲み取材で、パリ行きの搭乗券を模したボードを手渡された感想を聞かれると、こう答えていた。 優勝候補筆頭と目され、パリ五輪が確実視されていても、また、本人も手応えを掴んでいたとしても、重圧も当然大きかったのだろう。
日本人3人目…18年ぶりの「47秒台ハードラー」に
豊田の快挙は、パリ五輪内定だけにとどまらない。 日本歴代3位となる47秒99。日本人3人目の47秒台ハードラーとなった。 フィニッシュ直後すぐに表示される速報タイムは48秒01で止まっていた。「もしかしたら(47秒台に)変わるかなって期待をしていた」と、正式なタイムが掲示されるまでの胸の中を豊田は明かす。その期待通りの公式タイムとなった。 2001年のエドモントン世界選手権の決勝で為末大さんが日本人で初めて48秒を突破し、47秒89の日本記録を樹立した。だが、それから23年が経とうとする今もその記録は破られていない。それどころか、為末さんに次いで47秒台で走ったのは、2006年に47秒93をマークした成迫健児さんだけだ。この18年間はスパイク等の進化があったにもかかわらず、誰一人その域に到達できなかった。 48秒の壁は再び強固なものとして、日本人ハードラーの前に立ちはだかっていた。その壁をようやく豊田がぶち破ったというわけだ。 「正直、今日は勝負に勝てればいいと思っていた。48秒1とか2台が出れば。まさか47秒台が出ることまでは想定できなかったです」 目標としてきた47秒台とはいえ、豊田自身にとっても予想以上の走りだったようだ。 「イチかバチかというか、うまくいった時には好タイムが出るだろうと予想はできていた。そういった意味では想定通りのレースができました」 イチかバチか――豊田がそう話すレース運びは、前半から積極的に飛ばすというものだ。 今季好調の豊田だが、48秒36の自己ベストをマークした5月19日のセイコーゴールデングランプリも、48秒62の好記録だった今大会の予選も、前半は抑えめに入っていた。しかし、5月3日の静岡国際では前半から突っ込むレースを試して、五輪代表の座を争う筒江海斗(スポーツテクノ和広)に敗れていた。「前半突っ込むと後半に耐えられる足がない」と以前に話したことがあった。
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