「うわ、終わった!」田中史朗がラグビー日本代表として名を呼ばれる直前の「一瞬の間」、そのワケに涙腺崩壊した!
日本で初開催となる「ラグビーワールドカップ2019」。当時34歳のベテラン・田中史朗は、本大会に向けて網走での最終合宿に参加し、苦しんでいた。訪れた最終日。41名の中から、31名が日本代表メンバーとして発表される。果たして、名前が挙がるのか?田中に「その瞬間」が訪れ、涙腺は崩壊した。本稿は、金子達仁『田中史朗 こぼした涙の物語』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● ラグビーワールドカップ2019 日本代表31名がいよいよ決定 2019年8月19日から28日にかけて、日本代表はワールドカップへ向けての最終合宿を網走で行なった。朝8時から始まり、日によっては5部練になることもある10日間の後、参加した41名のうち、31名が本大会の登録メンバーとして発表される。 つまり、10人はそこでチームを去る。 振り返ってみれば、どれほど過酷なトレーニングと向き合っているときでも、あえぐ田中の脳裏には鮮明なイメージがあった。桜のジャージを身にまとい、列強に立ち向かっていく己の姿である。逆に言えば、ワールドカップの舞台に立つことは、考えるまでもない絶対的な前提条件であり、そこで巨大な敵と戦うことを具体的にイメージできていたがために、彼は命の危険を感じるほどのトレーニングにも没頭することができていた。 だが、19年8月の田中には、本大会でプレーする自分の姿を思い描くことができなかった。明確な目標、イメージがあったからこそ越えられてきた試練に、彼は生まれて初めて、支えてくれる自信を持たずに挑んでいた。 もちろん、そんな弱音を仲間たちに漏らすことはできない。
唯一の捌(は)け口は、何も言わずに耳を傾けてくれる妻との電話だった。 「もう、ホンマにキツいから、辞めてもいい?って、大げさでなく、何十回、何百回って電話したと思います」 口をついて出た泣き言が、果たして自分の本音だったのか。それは田中にもわからなかった。ただ、まったくの嘘、でまかせではないという妙な確信はあった。気持ちは、ほぼ折れかけていて、本当に折れてしまうまでの猶予は、どうやらほとんどなさそうだった。 ● 涙をこらえて800人の ファンにサインを書いた 「もし妻が、うん、いいよって言ったら、そこで一気にそっち側に気持ちがいっていたかもしれません。しんどさが、もう笑えないレベルになってたんで。『わたしも子供たちも全力でパパのことをサポートするから、もうちょっと、頑張ろうよ』って言ってくれたんで、ギリギリのところで踏みとどまれましたけど」 仲間たちのおちょくりを笑いで返す余裕もない。自分がワールドカップのメンバーに入れるという自信もない。ただ目の前のトレーニング、目の前の1日を乗り越えていくのが精一杯になりつつあった田中だが、それでも、最終日はやってきた。