“先輩と妻”に救われたFW「やっていける気せんわ…」「日本、帰んなよ!」ドイツで町野修斗が愛されるまで「自分の知っているドイツ語を」
カタールW杯の日本代表FW町野修斗(25歳)のインタビュー第2回。ドイツ北部での知られざる苦難、それを支えた仲間と妻の存在とは。〈NumberWebインタビュー/全3回〉 【写真】「あ、足が細い…」町野が“まだガリガリだった”高校時代から…「ドイツでスゴい!」PK職人ぶり、傷心の頃を救った先輩などを全部見る
ドイツ語、英語の意思疎通がままならない中で
“あの動画”はみんなの知っていた町野修斗のようであって、そうではなかったのかもしれない。 湘南ベルマーレ勢のカタールW杯出場を記念したモニュメントが本拠地にできた際、町野は愛する古巣にメッセージ動画を寄せた。ブンデスリーガ1部昇格を決めたタイミングということもあってか、勝利の美酒に酔いしれるサポーターのような喜びようだったが……。 あのメッセージを送ったのは、人知れず苦労をへて、一回り大きくなった後の町野だった。 先輩の言葉がなかったら、最愛の人がいなかったら、今の活躍はなかったかもしれない。 初めての海外移籍を果たした2023-24シーズン。移籍直前のJリーグでは19試合で9ゴール4アシストを記録した。その状況でオファーを受け、当時ブンデス2部のホルシュタイン・キールに戦いの場を移した。開幕から4試合で2ゴール2アシストをマークするなど、順調なスタートを切った。 ところが、そこからは順風満帆とは程遠いものだった。 第6節からは良いプレーができず、2試合連続でハーフタイムに交代で下げられてしまった。その後は、2試合続けてベンチスタート。そして第11節のニュルンベルク戦まで2試合続けて、出番なしに終わった。 この頃には、すっかり自信を失った。ドイツ語はもちろん、英語でのコミュニケーションもままならない時期だった。 「海外ってこんな感じなんか。やっていける気がせんわ……」 そう考えるようになっていた。
自分の方でクローズすると、厳しかったです
町野は、自身がJ3も経験してきた苦労人だと自認しているし、 過去には試合に絡めずに苦しんだ時期もある。ではこの時、悩みを深めたのはどういうことだったのか。 それは、海外ならではの環境だった。 言葉も通じない海外では、励ましてくれる先輩やアシスタントコーチがいるわけでもない。ロッカールームで着替えて、グラウンドに出て、練習が終わって帰るまで、練習中のやり取りを除き、一言も発せずに帰宅することもあった。 「自分から話しかければ、みんなも色々と話してくれるんですけど、自分の方でクローズしてしまうと、どうしても厳しかったです」 追い打ちをかけたのが、町野の置かれた環境だ。ホームタウンであるキールという街の位置である。 キールがあるのはドイツを構成する16州のうち最北端に位置し、デンマークとの国境のあるシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州だ。ドイツのサッカーどころといえば、ドルトムントやシャルケ、レバークーゼン、ボーフム、メンヘングラッドバッハ(ボルシアMGの本拠地)などがあるドイツ西部のノートライン・ヴェストファーレン州である。その州都であるデュッセルドルフには、日本食レストランや日本の商品を扱うお店、日本人のやっている美容院が密集しているエリアがある。 そのためドイツ西部でプレーする選手はもちろん、同州に隣接するオランダやベルギーでプレーする選手もデュッセルドルフに集うことが多い。そして、海外で戦う日本人選手同士で顔を合わせ、ときには愚痴を言い合いながら、英気を養っていくことができる。
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