五輪落選史「谷間の世代」長谷部誠や川島永嗣は順当、キャプテン鈴木啓太は発表当日まさか、北京の家長昭博らは30代で…悪夢のち逆転人生
北京世代は長友、香川、本田らがいた一方でOA未招集
【2008年:北京五輪】 〈北京五輪代表メンバー〉 GK:西川周作、山本海人 DF:吉田麻也、水本裕貴、長友佑都、森重真人、内田篤人、安田理大 MF:細貝萌、本田圭佑、梶山陽平、谷口博之、香川真司、本田拓也 FW:豊田陽平、岡崎慎司、森本貴幸、李忠成 バックアップメンバー:林彰洋、青山直晃、上田康太、梅崎司 〈代表漏れした主な選手〉 青山敏弘、伊野波雅彦、家長昭博、平山相太、興梠慎三、槙野智章 反町康治監督のもと、ホーム&アウェイ方式の長丁場だった最終予選をグループ1位で突破した北京世代。本大会の前年に出場を決め、本番までの長い強化期間に選手の成長度合いを見極めた結果、最終予選からは多くのメンバーが入れ替えられた。 出場機会の多かった青山直晃や伊野波雅彦、柏木陽介のほか、07年アジアカップに出場した水野晃樹などが選考漏れし、最終予選に出ていない長友佑都や森重真人、香川真司らが招集された。 一方で、オーバーエイジはアトランタ以来のゼロ。大久保嘉人は所属先の神戸との調整がまとまらず断念。遠藤保仁は直前の候補合宿に呼んだものの、ウイルス性感染症を発症してしまい大会メンバーに入れられなかった。
「調子乗り世代」が痛感した海外移籍の必要性
迎えた本大会の結果は、3戦全敗でグループステージ敗退――。優勝したアルゼンチンを苦しめたオランダや準優勝したナイジェリアと同居する厳しいグループだったことは確かだが、五輪で日本が1勝もできずに大会を去るのは初めてのことだった。 07年カナダワールドユースの「調子乗り世代」から五輪代表入りした安田理大は、のちに3連敗の衝撃をNumberに語っている。体感したのは、当時は本田圭佑と森本貴幸に限られた、海外移籍の必要性だった。 「悔しいけど世界と戦うには技術、走力、フィジカル、メンタル、全部が足りん。カナダでナイジェリアとやった時よりも差を感じたもん。1年でこれだけ差が開くってことは、この先、もっと広がるかもしれん。守備も攻撃も磨いて自分も海外でやらなあかん。3連敗は、それに気付かせてくれた」 実際、安田だけでなく、岡崎慎司や内田篤人、長友、香川ら多くの選手が大会のあとで海を渡り、日本代表に欠かせない選手に成長。3連敗に終わった五輪メンバー18人のうち9人が後にW杯出場を果たすまでになる。
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