『光る君へ』太閤・藤原道長(柄本佑)の最期に視聴者最注目 最終話画面注視データを分析
■道長と行成を同時に失った公任と斉信に胸を痛める ここは、2人が欠けたF4の姿に、視聴者の寂寥の念が集まったと考えられる。 いつも4人で仲よく酒を酌み交わしていた藤原のF4だが、同じ日に2人を失うことになった。若いころから苦楽をともにしてきた道長と行成を同時に失った公任と斉信の姿に、胸を痛めた視聴者は多かったのではないだろうか。 SNSでは、「公任さまと斉信さまが道長くんと行成くんを想って歌を詠むシーンが胸に響きました」「道長さま、行成くん。そして公任さまと斉信くん…泣いたなぁ、泣いたよ」「道長さまと行成くんは遠くへ行ってしまったけど、4人の友情は変わらないのが感じられてすてきでした」「道長さまと行成くんに歌を贈って献杯する公任さまと斉信さまが美しい。F4は永遠ですね」と、残されたF4の姿に心を打たれた視聴者のコメントが集まっている。 『光る君へ』の影響で、イケメンぞろいのF4はその知名度を全国区に押し上げた。特に町田啓太が演じる公任はすさまじい人気で、SNSを大いに盛り上げてくれた。すでに出家を果たした公任は、この後も政治に関わることはなかったが、有職故実と呼ばれる朝廷の儀式や風俗などを指導することはあったと伝わる。四納言の中では最後まで存命し、1041(長久2)年に76歳で亡くなった。斉信は出家することなく最後まで政に関わっていた。しかし、大臣任官がかなうことはなく、1035(長元8)年に病で苦しむことなく69歳で亡くなった。 清少納言は『枕草子』の中で、斉信を物語に登場するような当代きっての貴公子だと称賛している。これから半世紀くらいの間は、公任と斉信のパブリックイメージは町田と金田になるのではないだろうか。
9人の人物がこの世を去る
最終話「物語の先に」では1020(寛仁4)年から1028(長元元)年の様子が描かれた。 太宰府から無事に帰還しつつましく余生を過ごすまひろと、とうとう死の床についた太閤・藤原道長を中心に、登場人物それぞれのその後が語られた。作中では8年という時間が流れ、前述の道長や藤原行成を含め9人の人物がこの世を去ることとなる。 道長の身内では、兄・藤原道綱(上地雄輔)が1020(寛仁4)年に、少しでいいから大臣をやってみたかったと、道長に職をねだる姿を最後に没した。その死はナレーションですら語られることはなかった。次いで、1025(万寿2)年に後朱雀天皇に入内した6女・藤原嬉子が親仁親王を出産した2日後に赤斑瘡(あかもがさ)で亡くなる様子が描かれ、さらに1027(万寿4)年には次女・藤原妍子、3男・藤原顕信(百瀬朔)とナレ死が続いた。 道長の後の左大臣・藤原顕光(宮川一朗太)は遡ること1021(治安元)年、ひっそりと(ナレーションもなしのパターン)亡くなっている。また、四納言がそろった宴の席では、1人老いを感じさせないふるまいを見せていた源俊賢(本田大輔)も1027(万寿4)年に亡くなっている。こちらもナレーションもなしのパターンだった。 道長と同年に没した人物としては、行成が注目されがちだが、同じ四納言である俊賢も実はこのタイミングで亡くなっていた。そしてもう1人、実はひっそりとこの世を去った人物がいる。それは乙丸(矢部太郎)の想い人・きぬ(蔵下穂波)。乙丸が仏像を彫っていたのはきぬの菩提を弔ってのことだった。乙丸がまひろに「どこまでもお供しとうございます」と訴えたのは、きぬを失ってしまったからだったのだ。