2025年大阪万博こそ「昭和100年」を象徴するイベント……終わらない昭和を古市憲寿が考える
西暦2025年=昭和100年。 昭和という亡霊は、いつまで僕らを束縛し続けるのか? 万博、五輪、宇宙、原子力に夢を託し、工業の力でナンバーワンをめざした時代。 世界各地の夢の跡を歩きながら、古市憲寿が考えたこととは? 新刊『昭和100年』から「はじめに」を公開!
昭和100年の日本
西暦2025年は昭和100年にあたる。 もちろん実際の昭和はとっくに終わっている。昭和とは、1926年12月25日から1989年1月7日までの期間だ。昭和が幕を下ろしてからすでに30年以上が経過している。その次の元号に当たる平成も終わっている。 さらに今、昭和時代に成立した諸制度さえ、同時多発的に崩壊しつつあるようにも見える。テレビや新聞といったマスコミは力をなくし、SNSを中心としたインターネットメディアの影響力が増した。ジャニーズ事務所は解体され、芸能界も社会の潮流とは無縁でいられなくなりつつある。 ジェンダー平等に対する意識も高まった。2021(昭96)年、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長だった森喜朗((昭12)は自身の発言が「女性蔑視」と批判され、辞任に追い込まれている。 昭和最後の年である1989(昭64)年の世界時価総額ランキングでは、上位50社中、実に32社が日本企業だった。その中には2011(昭86)年に原発事故を起こす東京電力も、2017(昭92)年に約5500億円の債務超過に陥り、優良事業を売却せざるを得なかった東芝も含まれる。 そんな時代が噓のように、2023(昭98)年の世界時価総額ランキングのトップ50社には、辛くもトヨタ自動車がランクインするのみである。 「降る雪や 明治は遠くなりにけり」という俳句が詠まれたのは1931(昭6)年のことだった。明治は1912(昭-14 )年に終わっているので、約20年後の句である。 そして今や、昭和の終わりから30年以上が経っているのだから、「昭和は遠くなりにけり」というのも当然だ。 いや、そうだろうか。本当に「昭和」は終わったと言えるのだろうか。依然として、この社会には昭和がいたるところにこびり付いているのではないか。 昭和政治の象徴だった「政治とカネ」の問題は、未だにメディアを賑わせ続けている。雇用の流動化が唱えられながらも、新卒一括採用・年功序列・終身雇用といった「日本型雇用」は健在だ。 ジェンダー平等も意識だけ高くなったものの実態は伴わない。女性国会議員の割合は、2024年に解散する前の衆議院で10.3%。世界186ヵ国中164位という非常に低い数値だった(注1)。同様にプライム市場上場企業における女性役員の割合も13.4%に留まる。日本を除くG7の国々では、女性役員の割合は平均すると約4割である。 教育現場も旧態依然としている。未だに学校では紙と鉛筆が現役で使われている。iPhoneもChatGPTもある時代に、教師が黒板に書いたことをノートに写すという前時代的な行為が続く。 外交関係に目を向けても、昭和時代に生まれた禍根と制度は消えそうにない。 中国の愛国教育では「抗日戦争」が重要なテーマの一つであり、全土に戦争博物館が点在する。韓国とは慰安婦や徴用工などを巡りたびたび歴史問題が勃発する(注2)。 日本の敗戦後、アメリカ占領下で制定された日本国憲法も現役だ。第二次世界大戦の戦勝国連合として始まった国際連合において、日本は安全保障理事会の常任理事国になれずにいる。安倍晋三((昭29)が脱却を目指した「戦後レジーム」は健在だと言わざるを得ない。