「恋」とは、「好き」とは、「わかり合う」とは? 橘ももが、本質的な問いを投げかける小説『恋じゃなくても』。「私が考えている“途中”のことを見せていく」【インタビュー】
〈ついておいで〉。婚約者に浮気をされて別れ、雨の中うずくまっていた会社員・凪は、結婚相談所の相談役を務める老婦人・芙蓉に〈拾われた〉。芙蓉の助手として共に相談者たちと向き合ううち、やがて凪自身も自分を知っていく物語……なのだが、それだけでは終わらないのが、橘ももさんの小説『恋じゃなくても』だ。
物語に分け入った先には、恋愛や結婚、セクシュアリティなど今の社会を生きる私たちへの、本質的な問いが待っている。 著者の橘ももさんに本書に込めた思いを聞いた。また表紙にもなった“和菓子”についてのお話も。
自分がどういう恋愛をするか、どういう属性なのかを、決めなくてもいい
――恋愛や結婚について誰もが抱える悩みに共感しながら読むうちに、本質的な部分への問いが深まっていくと感じました。 橘ももさん(以下、橘):結婚って何なんだろう、って思ったんです。私が結婚をめでたく思うのは、好きな人たちが幸せそうにしているからであって、その実情はわりとどうでもいいんです。でも、どうでもいいで済まないことが世の中にはたくさんあるんだな、と。個人の幸せと、社会的な承認のための制度。結婚のもつその両面がうまくかみ合わず零れ落ちてしまうものを、書きながら探ってみたいと思いました。 主人公の凪のように「恋がわからない」という人のことを、今はアロマンティックと呼ぶことがあります。作中には、アセクシャル(性的欲求がない人)とおぼしき人物も登場しますが、あえてそういう言葉を使わなかったのは、定義づけすることでかえって「それは結局どういうことなの?」と説明を求められる機会が増えている気がしたから。グラデーションがあることだからはっきりとは言えないし、今はこうだと思っている自分の属性が、この先変わる人だっているかもしれない。もちろん、自分が生きやすくなるため、相手に理解してもらうために言葉は必要なんだけど、自分とは違う、理解できない相手のことも「あなたはそうなんだね」とゆるやかに受け止められるのが一番いいよなあ、と思いました。 ――芙蓉のところを訪れる相談者たちや凪が直面する様々な問題を、個人の話として帰結させず、社会の構造の問題として捉えて提示する場面も多く見られます。 橘:同性愛者の友人から、自分のセクシャリティを隠したまま結婚して子どもをつくったものの、最終的にカミングアウトして家庭が崩壊した、という人の話を聞いて……。確かに配偶者にとっては信じがたい裏切りで、いいこととは言えないんですけど、そもそも同性婚が認められていれば起きない問題じゃないの?と思ってしまって。芙蓉さんのセリフに、〈そんなの普通じゃない、と誰かに放った責めの呪縛は、いずれ自分自身だけでなく、自分の大切な誰かにかえってくるかもしれない〉とあるんですが、見ず知らずの誰かの権利を守ることが、結果として、自分の大事な人が傷つくかもしれない未来を防ぐことにもなるんじゃないかな、と思ったことが反映されていると思います。