麻疹(はしか)にかかった息子が4歳で最重度知的障がい者に…「飛び降りたら楽になるかも」思いつめていた私の目を覚ました姉のある一言とは
◆いいことだけを書くようにしましょう その後、息子は養護学校に通うようになりました。「薬で治らないなら、教育が薬になるのではないか」と思ったのです。 まだ数の少なかった養護学校は、車で往復2時間かかる場所にありました。 毎朝、片道1時間かけて車で息子を連れて行き、1時間かけて家に戻ってきます。その間に家事をこなし、授業が終わる頃にまた1時間かけて迎えに行き、1時間かけて連れて帰ってきます。 送り迎えに4時間かかり、大変ではありましたが、24時間息子に張り付く生活でなくなり、ほっと一息でした。 養護学校に通い始めた当初は、まだ悲嘆にくれていました。息子はあれもできない、これもできない。人に迷惑をかけてばかり……いつも「すみません」と謝っていました。 あるとき、担任の先生が「明日から連絡帳の書き方を変えましょう。悪いことは一切書かないでください。いいことだけを書くようにしましょう」と言われました。そんなふうに考えたことがなかったので、私にとっては目から鱗の言葉でした。 それから、必死になって息子のいいことを探して、連絡帳に書く日々。先生はいつも、「素晴らしい!」と褒めてくれました。 悪いところ、ダメなところに目を向けず、いいところ、できることに目を向ける。「これができない」と否定するのではなく、「じゃあどうしたら良くなる?」と、次につなげて前向きに考える。息子の見方がそんなふうに、だんだん変わっていきました。
息子は中学、高校、通園施設を経て、28歳のときに現在の生活介護事業所に入所しました。 当初は月~木でしたが、10年ほど前からは月~金に施設にいて、週末に自宅に戻るようになりました。土曜日の朝、車で迎えに行き、月曜日の朝に送りに行きます。今は、この生活を1日でも長く続けられたらと思っています。 息子は55歳のおじさんですが、心はピュアなまま。目がきらきらしています。年寄り2人の家に息子が帰ってくると、花が咲いたように明るくなります。 以前は、息子に対してどうしても命令口調になっていましたが、今は対等。私たちも年をとり、子ども返りしたようで、知能的には3人が同じくらいねと笑っています。 会話はできませんが、息子の言いたいことはわかっています。「ごはんはちゃんと食べましたか?」と聞くと、息子の言葉を代弁し、「うん、食べたんやね。よかった、よかった」と私が答えます。 ひとり芝居のようですが、それが楽しいのです。息子は元気の源です。 ※本稿は、『80歳。いよいよこれから私の人生』(多良久美子:著/すばる舎) の一部を再編集したものです。 (撮影=林ひろし)
多良久美子
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