『ペパーミントソーダ』1963年のアルバム、13歳の少女への手紙
1963年の記録
ウェス・アンダーソン監督は『ペパーミントソーダ』をフェイバリット作品に挙げている。姉妹の反抗的なスピリットや取り残されてく感覚は、特に『ムーンライズ・キングダム』(12)の孤独な少女スージーのイメージに強く影響を与えているように思える。アンヌの持っているキュートなポータブルラジオは、『ムーンライズ・キングダム』に出てきてもおかしくない小道具だ。ラジオは1963年のニュースを伝えている。エディット・ピアフの訃報、ジョン・F・ケネディの暗殺。本作は、夏休みの最後の一日から翌年の夏休みの始まりまでの一年を描いている。1963年の記憶。 「私たちは教師たちに恐怖を感じていました。時には私たちも彼らを恐怖に陥れていました」(ディアーヌ・キュリス)*2 13歳のアンヌには政治に対する具体的なイメージがない。教師たちのようにケネディの暗殺に悲しむこともない。しかしアンヌが感知していないだけで、少女たちの身の周りには政治が溢れていることを本作は繰り返し描いている。新学期の始まりのシーンでそれは早速描かれる。俯瞰で捉えられた校庭に一人取り残され泣いている少女はアルジェリア出身だ。そして、グラフィティのように壁に殴り書きされた“OAS”の文字列。アルジェリアの独立を阻止するために武装闘争をするフランスの極右組織の略称。OASに反対するデモグループに警官が突撃したシャロンヌ駅の事件を、クラスメイトから聞いたフレデリックは政治に目覚める。頭ごなしに生徒たちを縛り付ける教師たちの中にあって、この授業のシーンの教師は異色の存在だ。生徒たちとの対話を大切にしているのが伝わってくる。 大人にも様々な大人がいることを本作は短いショットで的確に描いている。反抗する生徒たちを恐れる数学の教師のシーンは痛快だ。そして大人たちのパーティーのシーンは、少女たちの瑞々しいパーティーシーンとの対比として反復される。威厳を失くした大人たちの醜悪な姿を見て、アンヌの夏休みの終わりから夏休みの始まりまでの一年が終わりを迎えようとしている。 10代のディアーヌ・キュリスは、自分が何を欲しているのかよく分からず、ペパーミントソーダをよく飲んでいたという。『ペパーミントソーダ』は大人たちへの反抗に始まり、大人になることへのほんの少しの理解、そして理解ゆえの孤立で終わっていく。何をどうすればいいのか分からなくて苦しかった13歳の少女への手紙。「メルド!(くそったれ)」と校庭で叫んだ少女の声は、みんなの声を代弁していた。このかけがえのない傑作には、ソーダ水の泡のように短く消えていった、1963年の少女たちの季節が永遠に封じ込められている。 *1 「Diabolo menthe(Comic)」 Diane Kurys / Cathy Karsenty *2 New York Times [She Put the Fizz in ‘Peppermint Soda’ ] https://www.nytimes.com/1979/08/05/archives/she-put-the-fizz-in-peppermint-soda-peppermint-soda.html 文:宮代大嗣(maplecat-eve) 映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。 『ペパーミントソーダ』4K修復版 渋谷 ホワイト シネクイント他にて公開中 配給:RIPPLE V © 1977 - TF1 DROITS AUDIOVISUELS - ALEXANDRE FILMS-TF1 STUDIO
宮代大嗣(maplecat-eve)