「俺は助平だが変態ではない」呂布カルマが"グラビアディガー"を確立できたワケ
ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『グラビアへの興味の変化』について語った。 * * * ★今週のひと言「俺は純粋な巨乳好きではない。広い○○を想像しているのだ」 俺は助平だが変態ではない。 こんなのは他人からの印象であって、自称するようなことではないかもしれないが、何もカッコつけて言っているわけでもない。 これまで男友達と何度も交わした下ネタ話でも、つくづく自分の凡庸さにがっかりしている。 友人たちの繰り出すフェティッシュに塗れた、俺にはとうてい理解できない性癖についての熱いトークにただただ圧倒されるばかりで、そこに俺の入り込む余地はない。 もはや、うらやましくさえ感じる。 しかし、そういった極めて真っすぐで、なんの面白みもないがゆえに生まれたフラットな視点こそが、俺を"グラビアディガー"たらしめているのだ。 俺は、女の肉体から放たれる、その年代に応じた特有のエネルギーを感じている。それはまるで太陽光よりも速いニュートリノをキャッチするスーパーカミオカンデさながらといえるだろう。 それでも10代後半から始めたグラビアディグは、現在41歳なので20年以上の時を経て、年相応の興味の変化が起きている。 今でこそヌードに興味を失い、グラビアアイドルの純粋なグラビア(着衣、とはいえ、中には衣と呼べないほど過激なものもあるが)だけをディグしている俺だが、若い頃はヌードも分け隔てなく掘っていた。 なぜヌードを掘らなくなったかというと、単純にエロすぎるからだ。 ヌードと非ヌードを一緒に掘ってしまうと、どうしても非ヌードに物足りなさを感じてしまうし、もっと言うと国内で流通するメジャーセクシー女優よりも、海外を経由した無修正こそが至上となってしまう。 しかも、それはオカズ視点なのだ。 この連載でも何度も言及してきたが、グラドルはオカズではない。 それに気づくまで俺自身ずいぶん遠回りをしてしまったが、逆にそこに気がつけたからこそ、今のグラビアディガーとしてのポジションがあるのだ。 そして俺は大きな、というか広い乳輪が好きだ。それは心の広さに直結するからなのだが、大きな乳輪というのは往々にして大きな乳房に現れがちだ。 だから俺は乳輪を露出しないグラビアにおいては、巨乳が好きなのではなくて、布の下に隠れているだろう大きな乳輪の存在を感じているだけなのだ。 その可能性に魅力を感じている以上は、純粋な巨乳好きとはいえない。 セクシー女優の中には立派な乳房のくせに乳首の直径と変わらないような狭い(小さい)乳輪をしている人もいる。 そーゆーのはまったく興味がないのだが、どうやら女性の間では、そんな狭い乳輪を良しとする風潮もあるようだ。というか、広い乳輪を恥じている人もいるようなのである。 デカいケツも同じだ。 グラドルでもものすごく細いひもや小さいアイテムで乳首を隠し、ギリギリまで見せてますよ的な演出をすることがあるが、大人になってハミ出したニップレスをレタッチで消していて、本当はブリンブリンに乳輪がハミ出していることを知るまでは、このグラドル、乳輪どんだけ狭いねんと失望したものだった。 あれで喜ぶのは未熟な男のコだけで、成熟した成人男性は皆そのように思っているはずだ。 何せ極めてストレートでニュートラルな俺が言うのだから、間違いはない。 撮影/田中智久