AE86の再来ともてはやされたのが不幸の始まり アルテッツァは悲運のアスリート
86の礎を築いた
「AE86の再来」というイメージが先行したばかりに、ブランニューFRスポーツセダンとしての評価が必要以上に低くなってしまった感があるアルテッツァ。トヨタはワンメイクレースを始めたり、アフターパーツメーカーと連携したりと必死に模索していた。 今やクルマ好きを手厚くサポートする自動車メーカーとしての地位を確立しているトヨタだが、このアルテッツァがその礎となっているのは間違いない。 アルテッツァでは中途半端に終わってしまったが、2012年登場の86で花開くことになる。アルテッツァはレクサスISに一本化され2005年に一代限りで消滅してしまったが、トヨタにとっては非常に意味のあるクルマだったと言えるだろう。 【トヨタアルテッツァRS200主要諸元】 全長4400×全幅1720×全高1410mm ホイールベース:2670mm 車両重量:1340kg エンジン:1998cc、直4DOHC 最高出力:210ps/7600rpm 最大トルク:22.0kgm/6400rpm 価格:240万円(6MT) 【豆知識】 AE86は1983~1987年まで販売されたモデルで、レビン/トレノとしては4代目となる。レビンは固定ライト、トレノはリトラクタブルヘッドライトだ。コンパクトカーが続々とFF化されるなかFRレイアウトで登場。現役当時はお世辞にも走りの評価は高くなかったが、1995年に発刊された『頭文字D』の影響により絶版後大ブームとなった。主人公の藤原拓海は3ドアハッチバックのトレノに乗っているが、2ドアクーペもある。今でも人気は継続中で、中古車はビックリするような価格のモデルも多数。2012年にデビューした86はAE86をオマージュし86と命名された。 市原信幸 1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。 写真/TOYOTA、ベストカー