地方紙が見せる「新しい生活保護報道」、岐阜新聞の長期連載が見せた現代の貧困の姿とは
生活保護の報道は、福祉事務所と利用者のいずれかを“悪者”に見立て、徹底的に叩くことで留飲を下げる「生活保護バッシング」の形式をとってきた。しかし、近年、メディアのなかには構造的な問題に踏み込み、生活保護の運用自体を変えていこうと試みるものがある。とりわけ地域ジャーナリズムにおいて、その萌芽がみられる。「新しい生活保護報道」の時代の幕開けである。
地域ジャーナリズムの役割
これまでNHKの報道を軸に「<メディアは生活保護をどう報じてきたか>「利用者」と「公務員」“悪”の対象に揺れた20年間」と「「生活保護バッシング」から見えた「もれなく救う」と「不正受給を防ぐ」のジレンマ 、生活保護制度の理想と現実」という生活保護の報道姿勢の変化をみてきた。そして、最新の報道では、「生活保護制度が内包する構造的問題」を描き出そうとしていることを伝えた。 こうした報道の変化は、ナショナル・メディアであるNHKに特有のものではない。筆者は、むしろ地元密着型の地域ジャーナリズムにその可能性をみている。 群馬県桐生市の“不適切対応”について、最も熱心に報じているメディアの1つが東京新聞である。東京新聞の小松田健一前橋支局長は、自社の社説で次のように述べている。 自戒と自省を込めて付言すれば、本紙を含む地域ジャーナリズムが機能を発揮しなかった帰結でもある。県内の社会福祉関係者の間では、桐生市の水際作戦の徹底ぶりは広く知られていたといい、野党系市議も議会の質問でたびたび問題視していた。にもかかわらず、全く報じてこなかったメディアの責任は軽くない。ならばこそ、しつこく報じ続けることが問題改善のためには必要だと信じる。(東京新聞、2024年5月15日) 「問題改善のために、しつこく報じ続ける」。この言葉を体現する地域ジャーナリズムがある。筆者は、そこに「新しい生活保護報道」の萌芽をみる。
岐阜新聞の特集「ホームレスは、どこへ行った―岐阜の現場から―」
岐阜新聞では、2024年2月から特集「ホームレスは、どこへ行った―岐阜の現場から―」を連載している。1章あたり6回の連載記事から構成され、現在3章まで掲載されている(岐阜新聞、特集「ホームレスは、どこへ行った―岐阜の現場から―」)。 貧困にまつわる報道が特集されるのは、全国紙、地方紙ともにそれほど珍しいことではない。子どもの貧困や失業、外国人など、貧困問題のテーマは多岐にわたるからである。しかし、ホームレスを基軸に18回もの連載を展開するのは異例である。 もう1つ注目すべき点は、連載を通じて「岐阜市における生活保護行政の変化」を報じている点である。これは、筆者の知る限り先例がない。 第1の変化は、24年3月14日の報道である。市議会で、市が相談者の申請権利を侵害する「水際作戦」をしている疑いがあるとの一般質問がなされた。これに対して、福祉部長が「県の監査の指摘事項について重く受け止めている」と答え、適切な窓口対応のため職員に研修や指導を行ったと明らかにした。 第2の変化は、8月24日の報道である。岐阜市内の「道の駅」で住まいがなく車上生活を続けている人たちに対して、岐阜市が食料や水などの物資の提供や、就労支援窓口の紹介を通じて状況の把握に乗り出したことを報じている。 第3の変化は、8月29日の報道である。「いただいた申請は、必ず受け付けないといけないことになっているんです」。6月に窓口を訪れた女性は、窓口の相談員からそう告げられた。居住支援法人の担当者や弁護士らは「市役所の対応が変わった」と口をそろえる、と報じている。 なぜ、岐阜市の生活保護の運用が変わったのか。そして、なぜ岐阜新聞ではそれを継続して追うことができたのか(あるいは、変わりつつあるのか)。 連載の中心となった岐阜新聞記者、山田俊介さん(37歳)氏のインタビューを通じて、その実際を明らかにしていこう。