【現地ルポ】シリア首都の今(後編)…政権崩壊の高揚と傷あと
■次々と貼られる行方不明者を捜す写真…「突然弟が消えた」
ウマイヤド広場を後にした我々は「マルジェ広場」で車を降りた。古くはトルコの支配に反抗した民族主義者やイスラエルのスパイが死刑に処せられた広場で“殉教者の広場”と呼ばれている場所だ。中央には黒ずんだ一本の塔が立っていて、土台部分には行方不明者を捜す真新しい写真が取材中にも次々と貼られていく。塔の周りには、行方不明者を捜す家族や親戚が座り込んでいる。ある男性は、「それまでは平凡な暮らしを送っていたが、内戦が勃発した。いきなり弟が行方不明となり12年間捜し続けている」という。別の女性はいとこを捜すためにここにきて朝から夜までここにいるが手がかりは全くないとため息をついた。
■遺体安置所にただよう死臭…肉親を捜す家族で人だかりに
市内の病院も行方不明者を捜す家族であふれていた。病院の薄暗い長い地下を歩いて地上に出た所には、軍用病院から運ばれてきたという遺体13体の白黒コピーが掲示され、のぞき込む人だかりが出来ていた。口を開いて歯がむき出しになったり、目が飛び出したり眼窩(がんか)がくぼんだりした遺体の白黒写真を老人から子どもまで、熱心に見つめている。ここで出会った大学生は、「アサド側の人は大学の中でも私たちをけなしていた。いとこが2人殺されて、旦那の兄弟も行方不明のままだ」と訴えた。 それ以外にも、涙ながらに家族の写真を示しながら話す人の話を聞いていると、遺体安置所の扉が開いた。確認のために家族を入れる時だけドアが開くのだという。扉の向こうから記憶に残る臭いが漂ってくる。ハマス襲撃後、たくさんの人が犠牲となったイスラエルのキブツを取材した時と同じ臭い・・・、死臭があたりを覆った。家族を捜す人が次から次へと遺体安置所へと入り、女性はスカーフで口元をおさえながら身元確認を行っていた。普通の市民たちが突然、政治犯として連れ去られるケースがこんなにも多いのかという異常さを実感した。
■入り交じる期待と懸念…「戻ってきても仕事がない」
休憩のために立ち寄った新市街のカフェでは西欧諸国と変わらない光景が広がっていた。店内には英語のポップミュージックが流れ、おしゃれな若者がコーヒーを飲み談笑している。スカーフを頭にかぶった目鼻立ちのくっきりした女性が水たばこを楽しそうにふかしている。水たばこの煙以外は、パリやニューヨーク、東京と変わらない景色で、わずか1週間前まで独裁者による圧政に苦しんでいた国とは思えなかった。 城壁内の旧市街にあるスーク(市場)は身動きがとれないぐらい多くの人でごった返していた。アーケードの両側には、生地を売る店、洋服店楽器店などが立ち並んでいる。間を縫うように、トウモロコシをゆでる屋台が湯気をもうもうと立てて進み、笛をくわえた子どもがエキゾチックなメロディーを奏でていた。貴金属店ではスカーフをかぶった女性が宝石の品定めをしている。政権崩壊後数日は店がしまっていたが少しずつ店は再開してきているという。 また初の週末ということもあり、市場には観光客も多かった。体制崩壊により、反乱軍が支配していた北部から初めてダマスカスを訪れることができたという人もいた。市場にいた人々からは、「不安がなくなった。これから帰国する若者の力で国は間違いなく良くなる」とシリアの将来への希望の声が聞かれた。 しかし、現実はそう甘くないという。我々を案内してくれたシリア人は、「いったん難民となって国外に避難してきた人々が、シリアに戻ってきても、国は貧しいので仕事はない。戻ってきた人にかかるコストの方が大きくなる」と将来への不安を語った。