田中将大36歳「年俸9億円」から4年…大減俸で楽天退団も「じつはパ5位の好成績」“シブい働き”とは? 1歳下の菅野智之も限界説を覆したからこそ
田中将大が楽天を退団した。田中はすでに球史に残る大投手だ。彼の去就は、野球界の大問題と感じる。 【レア写真】「ほ、ほそい…」マー君17歳、佑ちゃんと“シンクロ投球+パチパチ拍手”、大谷さん23歳とヤンキース田中先輩がニコニコ、ダルや由伸にイチロー松坂、里田まい夫人とも仲良し…など全部見る
24勝0敗、防御率1.27…プロ野球最後の20勝投手
田中将大は幼少期から、トップ選手としての道を歩んできた。敬意を表して、まずはあらためてアマ時代からメジャーまでの実績を振り返ろう。 兵庫県伊丹市の小学校の軟式クラブチームでは、捕手で巨人の坂本勇人とバッテリーを組んでいた。中学はボーイズリーグ、そして野球留学で駒大苫小牧へ。1年生は捕手だったが、2年からエースとなり2005年夏の甲子園で優勝投手、翌年夏も決勝まで進み、早稲田実業の斎藤佑樹と投げ合って、引き分け再試合の熱戦の果てに敗れた。 そして、2006年ドラフトでは、横浜、日本ハム、オリックス、楽天が競合して楽天が1巡目で指名。高校同期ではPL学園の前田健太が広島に1巡目指名、幼馴染で光星学院の坂本勇人は外れ1巡目で巨人に入団している。 田中は入団1年目の2007年から、野村克也監督の下でローテーションの一角を担い11勝で新人王。2008年には岩隈久志とともに先発投手陣を形成した。 当時、パ・リーグは日本ハムのダルビッシュ有が無双状態の活躍だったが、田中は次第にダルビッシュに肉薄する。2011年にはダルビッシュを1勝差で抜いて19勝で最多勝(ソフトバンクのホールトンも19勝)、最優秀防御率、沢村賞を受賞。ダルビッシュがこの年限りでMLBに移籍すると、2013年には空前の24勝0敗、防御率1.27で、チーム初優勝、日本一の立役者になる。沢村賞、MVP。田中はこれを置き土産にポスティングでヤンキースに移籍した。 なおNPBの20勝投手はこの時の田中以降出ていない。
ひじの故障も…ヤンキースで期待を裏切らず
ヤンキースでの田中将大も期待を裏切らなかった。 2014年、25歳の田中は39歳の黒田博樹(11勝)とともにヤンキースの先発2本柱となり13勝。ツーシームを駆使する黒田と、変化量の大きいスライダーが売りの田中は、ともに抜群の制球力で、ニューヨークのファンをうならせた。 ちなみにヤンキースの右翼は40歳のイチロー(打率.284)。思えばこの年のヤンキースは日本人選手で持っていたのだ。 しかし田中はこの年の7月、右ひじ靱帯の部分断裂でDL(故障者リスト)入りしている。 普通なら即トミー・ジョン手術というところだが、田中は自身の多血小板血漿(PRP)を患部に投与し、断裂した靱帯の再生を促すPRP療法を選択した。 幸いなことに、田中の靱帯はPRP療法で修復され、9月には復帰した。翌年以降も、田中はヤンキースの先発投手陣を支え続ける。MLBでの田中は「絶対的なエース」ではなくCCサバシアやルイス・セベリーノなどとともに、ローテーションを維持して「試合を作る」タイプになった。