今季限り引退を発表した阪神・藤川球児の「責任の美学」…「みんなの幸せが自分の幸せになる」
なぜか?翻意した理由を尋ねたとき、藤川は、こんな話をした。 「ジャイアンツに負けた悔しさがひとつです。阪神に入団して10年、この間にどれだけ阪神ファンが増えましたか。過去最大の阪神ファンの数になりました。ジャイアンツをしのぐ観客動員数です。自分が頑張ったからこれだけのファンがついてきてくれたという責任がある。自分を大きくしてくれた感謝がある。言い方は悪いがジャイアンツにファンを返してはいけないと思ったのです。オレたちが作ってきたものをね。正直、もう阪神でやる気はありませんでした。でも、クサい言い方かもしれませんが、自分を取り巻く、みんなの幸せが自分の幸せになる。もう一度、優勝の気持ちを分かち合ってからでも(メジャー移籍は)遅くない」 強烈な責任感である。 結果、藤川は、2011年にはセーブタイトルを獲得しているが、優勝の気持ちを分かちあうことはできず、2012年オフに海外FA権を得てメジャー移籍を果たした。 4年もの時間、夢を封印したのは、彼の「みんなの幸せが自分の幸せになる」という根底にあるプロ哲学だった。 藤川は、シカゴ・カブスですぐにクローザーの座を獲得するまでになったが、肘を痛めてトミー・ジョン手術を余儀なくされた。2015年はテキサス・レンジャーズと契約したが、まだ手術の影響もあって結果を残せずに帰国を決意、故郷である四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスでのプレーを経て翌年から阪神に復帰した。その際、坂井前オーナーの「藤川を戻せ」の意思が強く影響した。阪神が優勝するためにチームに必要なリーダーシップと責任感…坂井オーナーは、それを藤川に求めたのである。 そして藤川は、今、ボロボロになった肉体が、もう責任を負う立場にはないことを自覚してユニホームを脱ぐことを決意した。 「火の玉」と評された、狙っていてもボールの下を振ってしまうかつてのストレートはもうなかった。だが、40歳になってもストレートは、まだ140キロ後半を表示していた。クローザーは無理にしても、役割分担が変われば、あと1年…やろうと思えばできただろう。だが、藤川の「責任の美学」は、それを許さなかったのである。 今季限りの引退が球団から発表されたこの日、藤川は、それを知って連絡をくれた友人、知人、関係者に、できる限り丁寧にメールを返信している。 「野球人生に悔いはありません」 藤川は、今日1日、午後1時から西宮で引退会見に臨み、その心中を語る。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)