追い続けた世界最高峰のタイトル 「凱旋門賞」を日本馬が勝つ意味
昨年、150周年の節目を迎えた日本の近代競馬。その長い歴史において、日本競馬界が追い続けてきたタイトルがある。それが、10月6日夜(日本時間)にフランスで行われる凱旋門賞(芝2400m/ロンシャン競馬場)だ。今年は日本から、オルフェーヴル(牡5歳)とキズナ(牡3歳)が参戦。どちらも現地の前哨戦を勝利しており、優勝候補の最右翼として本番へ。いよいよ、そのタイトルに手の届きそうなところまで来た。 凱旋門賞は長い間、「世界最高峰のレース」としてあらゆる地域の競馬関係者が目標としてきた。創設は1920年。それから今日まで、なぜホースマンはこのタイトルを目指してきたのか。それにはまず、フランスという舞台が関わっている。
その年のチャンピオンを決めるレース
近代競馬の発祥地はイギリス。レースの形態やダービーの創設など、世界中に広がる競馬の基礎を生んだのはこの国だった。そして、そのイギリスに追随したのがフランス。世界の競馬、特に芝コースでの競馬は、イギリスとフランスが牽引してきたといっていい。凱旋門賞は、競馬の中心地であるフランスが舞台だからこそ、価値を認められてきた。 さらに、凱旋門賞の距離設定と施行時期も、レースの権威を語るに欠かせない。舞台となる芝2400mは、イギリスとフランスのダービーが長らく行われてきた距離。競馬界最高の栄誉でもあるダービーの施行距離2400mは、競馬における「花形」。しかも3歳馬しか出走できないダービーに対し、凱旋門賞は3歳以上なら出走可能。つまり、多世代の中から「花形」である芝2400mのチャンピオンを決めるのが凱旋門賞なのだ。 また、ヨーロッパの競馬は冬季がオフシーズン。シーズン締めくくりの時期である10月の凱旋門賞は、その年のチャンピオンを決める総決算のレースに位置付けられた。
1980年代まで日本馬は苦戦
このような背景から世界中のホースマンの憧れとなった凱旋門賞だが、過去にその栄光を手にしたのはヨーロッパ所属馬のみ。日本馬も13頭挑戦したが、いずれも勝利には届かず。特に1980年代までは、すべて10着以下とまったく歯が立たない内容だった。