「音楽はテクニック以前に学ぶべきことがある」レパートリーの限界を逆手に取るピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュ【世界文化賞】
音楽家を育てるために必要なのは“考える場所”
芸術の世界に“競争”つまり“コンペティション”は必要なのか。音楽家を育てるための理想的な環境についてピレシュさんはこう話す。 ピレシュ: 私はすべての事柄について“考える場所”を作りたいと強く思っていました。ときには立ち止まって考え、私たちがしていることを分析する必要があります。それは役に立つのか、役に立たないのか、何かをもたらしているか。例えば、芸術の世界で“コンペティション”という形式が非常に多く用いられていますね。でも想像してみてください。誰のために、どのように、いつ、何をすべきか、どうすればもっと多くの人を育てることができるのか、それによってどれだけ多くの人が幸せになれるのか。これらすべてのこと、音楽を教えることについて考えるのです。 ピレシュ: 私は、みんながただ一つ、幸せになることが必要だと考えています。それだけでいいのです。幸せになるために何かをするのか、しないのか。ここ(ベルガイシュ芸術センター)はそのために作られた場所なんです。人を傷つけることなく、環境を傷つけることなく、動物を傷つけることなく、何かを傷つけることなく、幸せを生み出すための想像力と、何かを考えるところです。いまより少しでもよくなるような世界を自分たちの想像力で創造する~そのためにベルガイシュ芸術センターは作られたものです。
日本が教えてくれた「純粋」の意味
初来日は1969年で、大の親日家であるピレシュさん。公演の合間に文楽や歌舞伎など日本の古典芸能を鑑賞することを楽しみにしているという。世界文化賞受賞は、今後の演奏や教育活動にどのような意味があるのだろうか? ピレシュ: 大きな、大きな意味があります。これほどの名誉はありません。ただ、私にとっては 名誉以上に大きな意味があります。日本という国は、「純粋」という意味について多くのことを教えてくれた国です。純粋というのは、余計なものがついていないという意味です。余計なものは排除して、必要なことだけを行う。たくさんの宝石やたくさんのものを持っている必要はないということです。だから、それらを取り除けば、人の行動はより純粋になる。もし私が有名であることや、技術の高さ、称賛の多さなどにとらわれているとすれば、それはすべて私が必要としないものです。日本にはこれを学ぶ道があります。不要なものは捨てるのが一番。その道を行くことは、私にとってとても重要なことなのです。だから私は日本が大好きです。嫌いなものさえもです。私にとって日本はある種の純粋さの見本なのです。特に昔の芸術にそれが表れています。それが大好きです。だから私にとって、今回のことは計り知れない意味があるのです。 (サムネイル:ベルガイシュ芸術センター内のコンサートホールにて撮影・神戸シュン ©️ 日本美術協会)
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