「健常者」と「障がい者」のあいだにある「溝」をどう埋める? 現実に打ちのめされると同時に湧く、社会と自分自身への「怒り」
美術業界の裏側を綴った「神の値段」で第一四回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、二〇一六年にデビューした一色さゆりさんは、大学と大学院でアートを学び学芸員として働いてきた経歴を活かして、アート・ミステリーを数多く手がけていることで知られる。 最新作『音のない理髪店』は、アートを題材にしてもいなければ、「謎」が掲げられたミステリーでもない。耳が聞こえないろう者の歴史と現実を、一人の人物を軸に描き出す、多彩で多層的な人間ドラマとなっている。 今回は、久田かおりさんによる『音のない理髪店』の書評をお届けします。 『音のない理髪店』 大正時代に生まれ、幼少時にろう者になった五森正一は、日本で最初に創設された聾学校理髪科に希望を見出し、修学に励んだ。当時としては前例のない、障害者としての自立を目指して。やがて17歳で聾学校を卒業し、いくつもの困難を乗り越えて、徳島市近郊でついに自分の理髪店を開業するに至る。日中戦争がはじまった翌年のことだった。──そして現代。3年前に作家デビューした孫の五森つばめは、祖父・正一の半生を描く決意をする。ろうの祖父母と、コーダ(ろうの親を持つ子ども)の父と伯母、そしてコーダの娘である自分。3代にわたる想いをつなぐための取材がはじまった……。
「伝えたい」その気持ちを言葉にのせて
言葉でしか伝えられないことがある。でも言葉では伝えられないものもある。これは、どうやったって言葉という形にはならないものをあえて言葉で伝えようともがく一人の女性の物語だ。 耳が聞こえない世界。音のない世界。そのなかで生きている人たち。彼らが使う手話という言葉。テレビで、あるいは街中で見かける手話での会話。音のない会話であるはずなのに、それをとても賑やかだと感じたことがある。彼らはその手の動きだけではなく、表情や身体全体から言葉を発している。そこにあるのは「伝えたい」という気持ちそのもの。だからこそ、その表現の豊かさが音のない賑やかさにつながっていく。 手話は文字ひとつに対してひとつの動きで表現する場合と、ひとつの動きだけで単語や動作を表現する場合がある。けれどそれは一種類だけではないという。作中に、「水」の表現が地域や年代によって異なっているという記述があり、驚いた。共通の認識に基づいて成り立つ「手話」は実際は誰にでも通じる共通言語ではないのだ。そして耳の聞こえない人が通う学校で必ずしもその手話を習うわけではなかったということもあまり知られてはいない。その理由をこの小説で知り、日本という国の「障害者」に対する姿勢を目の当たりにして、自分のその知識の浅さに震える思いがした。 耳が聞こえないこと、障害を持っていること、その為に受けてきた差別。五森つばめの祖父母の生きてきた時代背景もあるだろう。戦争という狂気の中で「健康であること」が兵役の条件として突きつけられた時、障害を持つ人たちがどれほどひどい迫害を受けて来たか。その中で終盤明かされる一つの真実はこの小説がもたらす、小さいけれど明るい光となる。