対馬で起きた「JA共済」22億円超の不正流用事件に、開高健ノンフィクション賞を受賞した作家が抱いた“違和感”とは
● 現地で再確認したおかしさ 私が取材に取り掛かることができたのは、『農協の闇』の出版から3カ月がたち、一段落した22年11月中旬である。 対馬では最初に、西山が勤続期間のほとんどを過ごした上対馬支店を訪ねた。それは、島の北部にある上対馬町で唯一街と呼べる比田勝にある。 ここでまた、違和感を強くすることになった。2階建ての上対馬支店は、日本一の営業マンが在籍するには、あまりに小さく、古びていたのだ。 おまけに比田勝は人の気配が少なく、閑散としていた。それは、19年に日韓関係の悪化に加えて新型コロナウイルスの影響もあって、韓国との間を結ぶ国際船が運休になり、韓国人の観光客がほぼ皆無だったためでもある。 私は比田勝を離れて、西山が営業先としていた範囲をぐるりと回ってみたものの、街と呼べるのは比田勝だけといえた。 それなのに西山はとんでもない顧客を獲得していた。彼が亡くなった19年2月末時点で、対馬の人口は1万5110世帯、3万901人だった。西山はこの時まで、実に2281世帯4047人分の契約を取っていたのだ。おまけにこれは対馬の人口の1割以上に相当する数字であるというから、驚くよりほかない。 ● いつでも身近に起き得る事件 私は違和感を募らせながら、あらためてこんな疑念を抱くようになった。果たして巨額の不正流用事件は西山一人の手によるものだったのだろうか、と。その真相は『対馬の海に沈む』に譲りたい。 一つだけ種明かしをすれば、事件の責任を負うべきは、決して西山一人だけではなかった。そこには、1000万人以上の組合員を抱えるJAグループという巨大組織が複雑に関わっていた。 むろんそんなことは、取材の当初から予想していたことである。むしろ肝心なのは、この事件の核心が別のところにあるということだった。取材を進めるうちに、それまでまったく予期していなかった”共犯者”の存在が浮かび上がってきたのである。 そこにたどり着いたとき、西山の死が卑近な出来事として、一気に私に迫ってきた。西山がはまった落とし穴はこの国に遍在しているものだったのだ。だからこそ恐ろしいのである。(敬称略)
窪田新之助