「何かあれば強制送還がされるのでは…」フィリピン国籍を捨てた31歳ハーフ男性が憂慮する日本社会の”優しさが生む分断”
「一般社団法人コンパスナビ」――児童養護施設などを巣立った若者や家庭に居場所がなく困難を抱えている若者への就労支援・住居支援・生活支援を行う当事者支援団体だ。代表理事を務めるブローハン聡さん(31歳)は、自身もまた児童養護施設を出ている。11歳のとき、義父からの虐待が発覚して施設に保護された。その名前からもわかる通り、ブローハンさんはいわゆる”ハーフ””ミックス”と呼ばれる混血。母親がフィリピン人、父親が日本人だ。私生児として生まれ、14歳で母親に先立たれ、義父からは養子縁組を拒まれるなど、複雑な事情を抱えた彼には、中学生になるまで国籍がなかった。青春期に感じた日本社会における「異物」の取り扱いについて、思うところを話してもらった。 【漫画】「一緒にお風呂入ろ」母の再婚相手から性的虐待を受けた女性 前編記事『「ライターで炙られ…」義父からの「壮絶な虐待」と母の知り合いからの「性的虐待」…私生児で被虐待児の31歳ハーフ男性が生きるための編み出した「処世術」』より続く。
母の死をきっかけに
子どもながらに、状況をコントロールする術を手探りで探したブローハンさん。だが最も緊張感があり恐怖したのは、”身近ではない大人”とのやり取りだったと述懐する。 「14歳で経験した母の死をきっかけに自分を証明するものがなくなり、私はまずフィリピン国籍を取得することになりました。児童養護施設の先生方や弁護士さんとともに六本木にある大使館へ何度か足を運びました。その際、『タガログ語が喋れることがバレるとフィリピンへ強制送還される可能性があるから、喋らないように』とアドバイスをされたのを覚えています。 その後、17歳のときに日本国籍を取得しました。実父に対して認知申立の裁判手続きを行い、強制認知という形で認められたそうです。というのは、このあたりについて、私自身は裁判所へ行ったこともなく、詳細を覚えていないんです」 ブローハンさんは17歳からフィリピンと日本の二重国籍状態となる。国籍法第14条第1項では22歳までに国籍の選択をすることと定めており、彼もまた22歳で日本国籍のみとなった。その間、些細なことであっても日本社会を垣間見る機会があったという。 「高校時代、私は区をまたいで通学していました。自転車に乗って40分くらいだったと思います。よく警察官に呼び止められ、防犯登録などの確認をされていました。もちろんきちんと登録しているのですが、『何かあればフィリピンへ強制送還されるのではないか』とビクビクしていました。 あるいは、大使館での面談は今でも鮮明に思い出します。私が話しているところをじっと観察するその視線は鋭くて無機質な感じがしました。もちろん相槌などもなく、喋りにくかったですね。
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