世界的不況から島民を救ったのは“森の主”だった? 今年は巳年、毒蛇・ハブの今を追った
今年の干支(えと)は巳(み)。鹿児島県の奄美大島と徳之島に生息する毒蛇ハブは猛毒があり、人々に恐れられる。一方で希少な自然を守る“森の主”や“縁起物”としてあがめられ、親しまれてきた。奄美のハブの今を追った。 【写真】〈リーマンショック後の飛躍的な伸びが一目で分かる〉ハブの年次ごとの捕獲数をグラフで確認する
ハブの咬傷(こうしょう)被害を減らすため鹿児島県は、奄美群島が日本に復帰した翌年の1954(昭和29)年度から、住民が捕まえたハブの買い上げ事業を続ける。資料が残る60年間の捕獲数の推移を分析すると、買い上げ価格(報奨金)や景気を反映していることがうかがえる。 開始当初の報奨金は1匹150円だった。毒を中和する「血清」開発に多くの生きたハブが必要となり、段階的に額を引き上げて90年度は3000円に。さらに奄美大島と徳之島の10市町村(当時)は県に上乗せして報奨金を支払い、94年度に2000円で統一。計5000円と最高額に達した。 報奨金の額と捕獲数は密接な関係にある。年間2000~3000匹だった捕獲数は値上げが相次いだ70年代後半から増加傾向となり、94年度からは2万匹の大台に乗った。 大和村名音の上村高矢さん(68)は40年前、長男の誕生を機にハブ捕りを始めた。「子育てでお金がかかる時期。少しでも収入を得ようと無理してでも捕りに出た」と振り返る。
東京大学医科学研究所(瀬戸内町)の元特任研究員・服部正策さん(71)は「捕獲が進むにつれて個体数は減ってきた」と説明する。 生態系への懸念から、撲滅から共存へとハブとの向き合い方も変わり始めた。2004年度以降は行政の財政難などを背景に報奨金が減額。現在3000円になっている。 それに伴い捕獲数も減少傾向だった中、10、11年に急増した。服部さんは08年のリーマンショック後の不景気を要因に挙げる。「生活費の足しにしようと多くの若者がハブ捕りに参入したのでは」 服部さんは1992年から、捕獲されたハブの体長や体重を元に推定個体数を算出する。同年の10万匹台から2018年には7万匹に減った。 咬傷者数も減り「捕獲の効果は現れている」と指摘。その上で「ハブの存在が森に手を加えるブレーキになっている。このままのペースで捕り続けるのがちょうどいい」と話した。 ◇ 1960~70年代に年間300人近くだったハブ咬傷者数は、近年はその1割程度に落ち着いている。2014年度を最後に死者は出ていない。
1965年度以降で咬傷者が最も多かったのは73年度の296人。2000年度からは100人を割り、この10年は20~50人台で推移する。草刈りやハブ取り扱い中の発生例が多い。 徳之島で40年にわたって咬傷者の治療にあたる宮上病院(徳之島町亀津)の宮上寛之院長(77)は「道路が整備された今、速やかに医療機関にかかれば亡くなったり後遺症が出たりすることはなくなった」と話す。 毒を洗い流すため患部を切開する必要があるが、CTなど検査技術の進歩で的確に処置できるようになったという。「かまれた際は毒が回らないように患部近くを縛り、ただちに病院へ」と呼びかけた。
南日本新聞 | 鹿児島