2年でふるさと納税額3倍。飛騨市のファーストペンギンが「一番に飛び込んだ海」
すべてがゼロベース
自身は奈良県奈良市出身、パートナーのUターンにより岐阜県高山市に移住(2017年)し、現在は飛騨市に住んでいる。舩坂さんの強みは、大手IT時代に全国各地でECコンサルタントに従事していたこと。どのように商品を開発し、発信すれば数字に直結するのかを体験を元に知っているのだ。 「飛騨市役所に出向した際には、『地域活性マネージャー』を拝命し、定量的な価値創造が求められていました。当然、周囲に知り合いはいませんし、それまでの常識が飛騨の常識ではありません。受け入れてくださる飛騨市にとっても、ふるさと納税の強化は初めてのこと、すべてがゼロベースでした。 とはいえ不安はなく、事業者の皆さんがどうポジティブに現状を改善して、成長していくかを考えていました。定量評価もそうですが、『地域全体で売り上げていこう!』という空気ができたら、一つのゴールだなと思っていました」(舩坂さん) 舩坂さんがまず動いたのは、飛騨市でふるさと納税を行う事業者への勉強会。地場産品をふるさと納税の仕組みを通して魅力発信し、売上につないでいく仕組みを学ぶ場の設計であった。40あるすべての事業者に電話をかけて、この重要性を説き、足を運んでもらうよう促した。勉強会に訪れた60人と連絡先を交換した後には、毎日のようにどこかの事業者の元に行き、一緒になってお礼の品の開発・発信について考えたという。 「まずは事業者を知るところから。でも、知れば知るほど『宝の原石』であることがわかるんですよ。良い品があってまだそれが知られていなかった。一緒に考えるだけでなく、一つずつ私が道筋をつくるつもりだったので、当時は時間がなかった印象ですね。忙しかったです」(舩坂さん) 行政ならではの縦割り文化は確認できたが、意識しすぎずに素朴な疑問も口にした。変化が起こりうる可能性を感じたからだ。自ら企画書をつくって提案し、少しずつ理解を深めてもらう。コツコツと成功事例を重ねて信用も深めてもらう。そんな毎日が始まった。 元IT企業でECコンサルタントのスキルをもつ舩坂さんのアドバイスに、多くの事業者が勇気をもらっただろう。外部の人の指摘だからこそ、地域側は素直に受け入れられる部分もある。 そんな事業者らが変わっていく姿を近くで見ていた人がいる。飛騨市の企画部 総合政策課 広報プロモーション係主査の上田昌子さんだ。「いまも毎週のように話す」と紹介する上田さんは、舩坂さんのファーストフォロワーである。 「初めて飛騨市に行った際の食事会に昌子さんがいらっしゃいました。そして、実際に市役所で働き出しても席が隣で、飛騨市のことをたくさん教わりました。市役所の方からすると前例のない話をいくつもしたかと思います。ですが、上田さんは先入観のない方で、良いと思ったものは組織に提案してくれますし、組織として通すべきところは絶対に折れない。自分とは違う考えや視点をもちつつ、最後まで一緒に考えてくれるのです」 一緒に働いたのは、飛騨市役所に出向した2年間だけだが、密度のあるものとなった。