『光る君へ』中宮という高い地位の彰子に教養を授けた紫式部。続きが読みたくて道長が下書きを盗んだ『源氏物語』は帝への特別な贈り物だった
NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台である平安時代の京都。そのゆかりの地をめぐるガイド本、『THE TALE OF GENJI AND KYOTO 日本語と英語で知る、めぐる紫式部の京都ガイド』(SUMIKO KAJIYAMA著、プレジデント社)の著者が、本には書ききれなかったエピソードや知られざる京都の魅力、『源氏物語』にまつわるあれこれを綴ります。 【写真】宇治・平等院前の見事な藤棚 * * * * * * * ◆紫式部の墓所 京都市北区紫野(むらさきの)。堀川北大路の交差点を南に下ったところに、紫式部の墓所があります。あまりにも目立たないので、京都の人にも、その存在をほとんど知られていないとか。 日本が誇る偉人、そして、話題を集める大河ドラマのヒロインのお墓としては、少々寂しく感じますが、ドラマのさらなる盛り上がりとともに、お参りする人も増えるかもしれません。 「紫式部」という呼び名は、紫野にちなんでいるとも、『源氏物語』のヒロイン・紫の上に由来するともいわれています。『光る君へ』ではまひろと呼ばれていますが、本名はわかっていないそうです。(記録に残る最初の女房名は「藤式部」で、やはり紫色に関連した名前だったようです) 紫野には、『源氏物語』ゆかりの寺、雲林院があり、紫式部はこの寺で晩年を過ごしたと伝わっています。そんな縁で、この地(古記録によると、「雲林院の塔頭・白毫院の南」)に墓所がつくられたのでしょうか。
◆紫式部が晩年を過ごした寺 現在の雲林院は小さな寺ですが、平安時代には広大な敷地を誇る有名な寺院で、桜の名所としても知られていました。『源氏物語』には、義母・藤壺に拒まれたことに絶望した光源氏が、出家を考えて、伯父(桐壺更衣の兄)のいる雲林院に籠る、という場面が出てきます。(巻10「賢木」) 『枕草子』にも、賀茂祭(葵祭)を見物するために朝早くから雲林院のあたりに牛車が立ち並ぶさまが描かれています。(残念ながら、現在の葵祭では、行列は雲林院の近くは通りません) その『枕草子』の作者、清少納言は紫式部のライバルといわれる存在でした。 『光る君へ』ではファーストサマーウイカさんがこの役を演じていますが、タイプの違う才女2人の活躍も、今後のドラマの見どころになるでしょう。 私がお参りしたときは、ちょうどムラサキシキブが艶やかな紫色の実をつけて、静かな墓所に彩りを添えていました。控えめながら、優美な趣のあるこの植物の名も、もちろん、紫式部、その人にちなんでいるようです。
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