女王批判で右翼団体のメンバーに横っ面を張り倒された評伝作家ジョン・グリッグのルーツに迫る
過激な女王批判で暴行を受ける
こうした論稿のひとつが1957年8月号に掲載された「今日の君主制(The Monarchy Today)」だった。 ジョン・グリッグによれば、第一次大戦を国民とともに戦い、あらゆる階級から支持を集めていたジョージ5世とは異なり、孫のエリザベス2世やマーガレット王女は社交界デビューを果たしたばかりのお嬢様気質が抜けていない。その理由は旧態依然とした上流階級の教育にどっぷりと浸かり、周囲を上流階級出身のものたちで固めているからだ。女王はもっと多種多様な背景を抱えた人々を助言者や友人として持つべきなのである。 さらにグリッグの鋭い舌鋒は、女王が公式の場でおこなうスピーチの話し方にまで及ぶ。ジョージ5世でさえスピーチの原稿は自身で書かず、ただ読み上げるだけだったかもしれないが、それでも彼自身の言葉として自然に話されていた感じがした。しかるに、現在の女王は違っている。彼女の話し方はまるで堅苦しくてうぬぼれ屋の女学生で、ホッケーチームのキャプテンか監督を務め、近々堅信式(キリスト教の典礼で洗礼のあとに自らの信仰をかためる儀式)を迎えるような輩のそれにすぎない。それゆえ彼女自身の独立した特色のある個性がまったく表れていない。 この論稿は発表と同時に大変な反響を呼んだ。当時のカンタベリ大主教(イングランド国教会最高位の聖職者)ジェフリー・フィッシャーはグリッグを痛烈に批判したが、女王秘書官補を務めるマーティン・チャータリスは密かにグリッグを呼んで助言を求めたほどだった。 そして論稿が評判を呼んだためにテレビ局に招かれて生出演したあとに……冒頭で紹介したとおり、帝国愛国者連盟のメンバーに横っ面を張り倒されたわけである。現行犯で逮捕された男はわずか20シリング(1ポンド)の罰金を支払うだけで済まされた。
爵位を放棄し、評伝作家として活躍
オルトリンガム男爵は、決して君主制を批判していたわけではない。むしろ君主制は時代に沿ったかたちで変わらなければ消滅してしまうとの警鐘を鳴らしたのである。事件から6年後の1963年、貴族法により一代に限って爵位を放棄できるようになり、トニー・ベンに続いてグリッグも「オルトリンガム男爵位」を彼一代だけ放棄した。爵位は彼の死後に弟のアンソニの家に引き継がれることになった。 政治家になることはできなかったグリッグだが文筆業は超一流だった。特に人物の評伝に定評があり、第3章にも登場した(125頁)ナンシー・アスターの伝記も彼が執筆している。しかし彼の名声を不動のものにしたのは、かつて父が仕えたロイド=ジョージの全4巻に及ぶ評伝であろう。その第3巻(1910年代前半を扱った)では優れた歴史書に与えられるウルフソン賞も受賞した。第4巻の最終章を書き終える前にグリッグは亡くなるが、それを仕上げたのはロイド=ジョージ自身の曾孫(ひまご)にあたる歴史家のマーガレット・マクミランであった。 君塚直隆 1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在』(2018年サントリー学芸賞受賞)、『悪党たちの大英帝国』、『ヴィクトリア女王』、『エリザベス女王』、『物語 イギリスの歴史』他多数。 協力:新潮社 Book Bang編集部 Book Bang編集部 新潮社
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