第93回選抜高校野球 「逆転の宮商」再現ならず スタンド熱く「最高の思い出」 /宮崎
<センバツ甲子園> 第93回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催、朝日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力)第2日の20日、52年ぶり3回目出場の宮崎商は1回戦で奈良・天理に1―7で敗れた。 日高大空投手が初回を3者凡退に抑える上々の立ち上がりだったが、守備の乱れもあり、二回に2点、七回に4点を奪われた。一時は7点差をつけられたものの一塁側アルプスの全員が信じたのが昨秋の九州地区大会で見せた粘り。八回に中村碧人主将の適時三塁打で一矢報いたものの一、二、七回の得点機を逃し7残塁。「逆転の宮商」の再現はならなかった。橋口光朗監督は「守り勝つ野球ができなかった。守備を強化する」と夏に向け再出発を誓った。【塩月由香】 「いけっいけっいけっ、やった」。八回1死一塁、中村碧人主将が適時三塁打を放つと、マネジャー陣で唯一の男子、田村蒼生(あおい)さんは大きなガッツポーズを見せた。 初回からアルプススタンドで力いっぱい太鼓をたたき、選手たちを鼓舞した。応援の音楽は大会の決まりで、録音したものを使用。せめて太鼓で「熱さ」を伝えたかった。「誰か一人でも諦めてしまうとだめだと思って、チームを信じて応援を続けた。憧れの舞台で人生最高の思い出」。チームは後が続かなかったが、やるべきことはやった。 アルプスには郡司行敏副知事のほか保護者会、OB、県人会などの約700人が駆けつけて声援。関西に住む「近畿宮崎県人会」も一角に陣取った。新型コロナで通常の3分の1程度の約80人しか集まれなかったが、2本のバルーンをたたいてエール。二回、天理に先制を許すと悲鳴が上がったが、貫安利(ぬきやすとし)会長(77)は「先制されても、その裏に得点圏へ走者を進めた。大崩れせず攻めてくれた。1960年代の甲子園の常連だった頃と同じ元気なプレーを見せてもらった」と満足そうだった。 52年前のセンバツ出場メンバーの1学年上のOB、大田原民利さん(70)=奈良県生駒市=は「前回の2008年夏が見納めかと思っていた。またここに来られてうれしい。いっぱい練習して夏にまた出直してこい」と選手にエールをおくっていた。【塩月由香、辻本知大】 ◇「絶対に夏行く」亡き父に約束 西原太一選手、無安打に終わり新たな闘志 宮崎商5番の西原太一選手は4打席に立ち3打数無安打に終わった。試合後、「実力が足りなかった」と唇を固く結んだが、目には新たな闘志。4年前に亡くなった父賢悟さん(当時49歳)との約束を果たそうと、ここまでたどり着いた。 小学3年でソフトボールを始めた。4年には自宅駐車場に練習用ネット。父は「毎日したら絶対うまくなる」「やるなら一番を目指そう」。両親のトスで一晩200~300球打つのが日課になり、会社員の父が休日キャッチボールしてくれるのがうれしかった。 父が病で急死したのは中2の初夏、野球部の大会中。「出張に出てるようだ」。心の整理がつかぬまま父の遺骨入りの筒状キーホルダーを大会に携行するようになった。不思議と適時打が出た。「父が見守ってくれている」。練習に励んだ。 宮崎商に入り、全国を目指す仲間と朝も夜もバットを振った。プロ野球選手のスイングも見て取り入れ、早速昨秋の県予選で快音を響かせた。センバツを決めた九州大会開催地は父の故郷の長崎。面影が似た父のいとこも見守る中、準々決勝の東明館(佐賀)戦は三回に本塁打を放った。 関西にたつ13日朝、自宅で父の遺影に「絶対勝つから。頑張ってくる」。20日はキーホルダーを入れたバッグをベンチに。アルプスで母朋美さん(46)が見守ったが、相手にほんろうされた。父に伝えたい言葉を試合後に聞くと、「絶対に夏行く」。必ず甲子園に戻る。【塩月由香】 ……………………………………………………………………………………………………… ▽1回戦 天理 020000410=7 000000010=1 宮崎商