軍師「黒田官兵衛」も読めなかった“我が子の行動”。頭が良すぎるために秀吉すら警戒した軍師
■優秀な軍師の大誤算とは? ただ、家康に疑われることがないように、息子である黒田長政を徳川方として参戦させます。官兵衛にとって、長政は出来の悪い息子だったので、とりあえず参戦させておけばいいと考えたのでしょう。 ところが、いざ関ヶ原の戦いが始まると、たった一日であっさりと戦が終わってしまいます。戦で弱っている徳川をぶっ潰して天下を取ろうと思っていた官兵衛にとっては大誤算でした。 その原因が、後の世では「天下の裏切り者」と呼ばれる、小早川秀秋が豊臣方から徳川方に急に寝返ったことです。そして、この小早川秀秋の寝返りを画策したのが、ほかでもない息子・長政だったのです。
「こいつ何やっても使えないな」と思っていた息子がめちゃくちゃいい働きをしたせいで、天下取りの夢が潰えてしまった。頭のいい官兵衛の誤算が、「息子が大手柄を立てた」こと。なんて運がない! 官兵衛、本当に「天下に翻弄されている男」なんですね。 関ヶ原の戦いの功績で、息子・黒田長政は大出世。黒田家もとても大きな家になるのですが、官兵衛は死期が近くなってくると、側近たちに嫌みばかり言うようになるんです。「なんでこんなこともできねえんだ、お前は。俺が頭良すぎるのか。お前らが馬鹿なのか」とか。
■死の間際でも頭を働かせる あまりにも側近たちからの評判が悪くて、「お父さんちょっと言いすぎじゃない?」と言う長政に、官兵衛は話します。 「戦国の世は、主が死ぬと家臣たちが殉死といって、後を追って自害することが多い。今まで支えてくれた家臣たちが、俺と一緒に死んでしまったら、黒田家が駄目になる。だから俺がみんなに嫌われれば、家臣たちは次の代であるお前についてくれるんだ。お前に心が向くように、今、俺は悪者を演じている、これが俺の最後の作戦なんだ」ということを息子に話すのです。
死の間際になっても頭を働かせて、一歩先二歩先、一手先二手先をしっかり見る。戦だけではなく、自分の家、息子のこれからにまで頭を巡らせる。天才軍略家・軍師として活躍して、最後は息子のために家臣たちをも騙す。そんな壮大な作戦を立てた。それこそが天才軍師・黒田官兵衛のすごいところではないでしょうか。 おかげさまポイント 秀吉に恐れられるくらい優秀だった黒田官兵衛さん。自分の成功を優先せずに行動したことで、最後は運も味方したといえるのかも!?
しろっぷ じゅんぺい :お笑い芸人/須藤 公博 :駿台予備学校日本史科講師