軍師「黒田官兵衛」も読めなかった“我が子の行動”。頭が良すぎるために秀吉すら警戒した軍師
1年後に荒木村重が戦で敗れて、官兵衛は救出されたのですが、信長や秀吉は「官兵衛は裏切ってなかったんだ。それなのに息子を殺してしまった」と号泣。後に、実は竹中半兵衛が匿ってくれていたことがわかり、竹中半兵衛に感謝したという逸話があります。残念ながら、そのときすでに竹中半兵衛は病気で死んでいましたが、官兵衛が大河ドラマになるような大活躍をしたのも、竹中半兵衛との友情や絆があったからこそだったんですね。
■頭が良すぎて、秀吉から避けられる 秀吉の配下として活躍していた時代。秀吉を作戦の面で支え続けた官兵衛は、ただ戦って相手を倒すという仕方ではなく、兵糧攻めや水攻めといった、頭を使った戦いを繰り広げて秀吉を支えていました。そんな官兵衛に、「こいつ本当にいいわ」と秀吉はドハマり。 「官兵衛さえいてくれたら大丈夫だもんね」と、何か困ったことがあるたび、「ちょっと官兵衛に相談しようか」なんて言って頼る。それくらい信頼されていた官兵衛でした。
そんなとき、歴史を動かす大事件、本能寺の変が起こります。主である信長が討たれて「俺はこの先どうやって生きていこうか」と秀吉が本当にへこんでいるとき、官兵衛が声をかけるんです。「ついに天下を取るチャンスが巡ってきましたね」。 この言葉で「大ピンチをそんなふうに捉えるのか。すげえな」と感心した秀吉は、そのまま明智光秀を討って天下を取りました。 ただ秀吉、若干冷静になったときに、「こいつあの状況で天下のことを考えちゃう。頭良すぎなんだよ」「何手も先を読んで計算できてしまう」「頭良すぎてめっちゃかわいがってたけど、逆にこえーな」「天才すぎて、なんか嫌なんですけど」などと思うようになりました。天下を口にしたせいで上司である秀吉に避られるようになってしまうのです。
「だったらもういいや」と、官兵衛も息子に黒田家を任して隠居してしまいます。 10年ぐらい隠居生活を送っている間に、秀吉が死んで、関ヶ原の戦いが勃発します。静かに隠居生活をしていた官兵衛ですが、天下を口にしたせいで秀吉さんには嫌われちゃったけど、「秀吉さんがいなくなった今こそ、俺が天下を取ろうじゃないか」と立ち上がったとされます。 豊臣方と徳川方どちらも非常に強い勢力ですから、お互い潰し合って、泥仕合になって、最終的には徳川が勝つと思うけど、かなり徳川もダメージを受けているはずだ。その疲弊し切った徳川をぶっ潰して、「天下を取ろうじゃないか」。そういう作戦を立てたようなのです。