「司葉子」や「香港のトップ女優」ともロマンスが噂され…永遠の二枚目「宝田明」さんが演技力の凄さに感嘆した「一番の女優」とは
第1回【美空ひばりから「お兄ちゃん、うちに遊びに来て」 昭和のスタア「宝田明さん」が生前に語った華麗なる交遊録…江利チエミが恋に落ちた高倉健の“仮病”】からのつづき 【秘蔵写真】「本当にお綺麗な方」と生前の宝田さんが語った女優とは 1953年に東宝ニューフェイスの第6期生として芸能界入りを果たし、183センチの長身と秀でた容姿で若手スターの座を獲得した宝田明さん。華やかな雰囲気と「永遠の二枚目」ぶりは後年も変わらず、「イケオジ」という言葉が生まれる前の先駆者的存在でもあった。 宝田さんの長い芸能人生において欠かせない存在といえば、共演した幾多もの有名芸能人たちだ。気の合う友人だった美空ひばりと江利チエミの秘話を明かした第1回に続き、今回は“恋愛関係”を噂された2人について。また、「最も演技が凄いと感心した女優」についても語っている。 (全2回の第2回:「週刊新潮」2006年5月4・11日号「『原節子』『司葉子』『美空ひばり』宝田明が見た『女優の秘密』」をもとに再構成しました。文中敬称略) ***
1年に10本以上の映画に出演
《3人娘との共演と並行して、宝田は数々の女優と共演している》 当時の僕は、1年に10本以上の映画に出ていました。ひとつの作品を撮るのに2カ月はかかるから、午前中と午後で別の作品という具合に掛け持ちになる。砧の撮影所には、撮影中の映画の看板が掛かっているのですが、1本は1年中変わらず黒澤作品。3、4本が僕の主演映画でした。 なかでも共演することが多かったのが司葉子さんでした。鳥取県の境港出身で、3人姉妹の末っ子。これが大変な美女三姉妹で。彼女は大阪の新日本放送(現・毎日放送)の専務秘書をやっていて、『家庭よみうり』という雑誌の表紙を飾ったのを東宝が目を付けた。 《宝田と司葉子の共演第一作が、昭和30年1月の「天下泰平」。以後、「雪の炎(同年3月)、「美貌の都」(32年3月)、「青い山脈」(同年10月)、「続青い山脈」(同年11月)と続く》 文字通り、司さんとの共演作品は昭和30年代の東宝のドル箱になりました。彼女は女優なんてヤクザな仕事をしないで、きちんとお勤めをして、素敵な男性と結婚して落ち着いた方がいいのかな、と思うくらいに、お嬢さん、お嬢さんしていました。